第29回 高いスタンダードを持ち続けるラーメン店でありたい  株式会社ヒカリッチアソシエイツ 髙橋夕佳 社長

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ぼくの親しい友人で、日本を代表するラーメン評論家大崎裕史に、今度焼きあご塩らー麺の「たかはし」を展開する髙橋夕佳社長にインタビューするのだけど、「たかはし」の特徴って何ですかと聞いた。すると大崎さんは、それはもう、社長 髙橋夕佳の生き様ですよと応えた。

一人の女性社長が、その生き様を具現するラーメン。筆者はいったいどんな話が聞けるのか、心を躍らせながら彼女の経営する、株式会社ヒカリッチアソシエイツに向かう。そして語られたストーリーは、筆者の想像をはるかに超えていた。

何不自由なかった少女時代

「父は三代続く会社の経営者、母は音大を卒業したピアノ講師。共通の趣味である音楽で出会った二人の長女として生まれました。子供のころから、いつもクラシック音楽が流れていて、家の中にホールがあり、色々な楽器が置いてあって、そこでアンサンブルをやったりとか。そんな環境で育ってるんです。少女漫画のヒロインのような家庭環境でした。

普通に勉強もできて音楽にも親しんできたので、地元新潟の国立大に入り、音楽の先生になろうかなと思っていました。ところが、初めて就職を目の当たりにしたとき、あまりにも自分は社会のことを知らなさすぎた。就活しながら調べているうちに、もっとダイナミックなスケールの大きいビジネスをしてみたいと望み、思い切って東京に出ることを決意。大手の不動産デベロッパーに就職しました」

就職後半年で大きな決断

お話を伺いつつも、品のいいお嬢さんがそのまま大人になったという筆者の印象は変わらない。この時点では、全くラーメンと結びつかないのだが、髙橋社長から驚愕の話は続いた。

「東京に出てからも新潟にいるボーイフレンドと遠距離恋愛を続けていたのですが、入社半年で妊娠が発覚。自分はこの会社でキャリアを積んでいきたいと考えていたのに子供ができ、非常に悩みました。仕事を辞める、結婚するなんて想像できなかったし、同期には負けたくないという気持ちも強い時期で、本当に会社を離れたくなかったのです。

しかし、産婦人科のドクターから『生むことや育てていけるかどうかを悩むのではなく、新しい命をどうやって育てるか、回りにどのように協力してもらえるか、そちらを悩みなさい』と言われ、キャリアを断念する決心をしました。いずれ母親になる、それが前倒しになっただけだ。自分は必ずまた、ビジネスの世界に帰ってくると固く心に誓い、退職して子育てのために新潟に戻りました。まだ20代そこそこで私は若い。子供を3人生んでも20代の後半には再び社会に出ることができる。

子供のころのネガティブな経験がエンジンになって起業している社長って多いですよね。そんなハングリー精神は、少女時代の私にはありませんでした。でも、必ず社会に復帰して、もう一回新たな挑戦をしたい。そこに一番負のパワーがあったのかもしれません」

なぜ、ラーメン店だったのか

お子さんは、1人だと寂しいだろうと3人もうけ、2人目ができたとき、再び東京に拠点を移し、3人目が1歳になった暁に、起業したという。

そのバイタリティと母としての愛情、進取の気性に舌を巻いた。

「当社は、株式会社ヒカリッチアソシエイツという名前で、夫婦で小さなラーメン屋を始めた当初、新潟で穫れるお米も販売していました。こしひかりのヒカリと豊かなリッチを合わせた造語です。結婚して早々には主人とラーメンをやろうというプランはあったので、2人目ができたときに東京に引っ越し、主人は先を目指してラーメン屋で働き始めたんです。ラーメンを選んだのは、もともと夫婦で食べ歩いていて、当時は多くの店がマスコミに取り上げられ行列ができて、私たちにとって、夢があって華やかな世界に感じました。

でも、キャリアを途中で断念することがなければ、大手のデベロッパーで続けていたと思います。予定が狂って、これだけのブランクを埋めるには、もう起業するしかなかったですね。

当店『たかはし』のメイン、焼きあごのダシを使ったラーメンは、新潟や山形には名店がいくつかあるのですが、関東にはない、そこに目をつけ絶対やったら都心でも喜ばれるという確信めいたものがありました。

2011年4月起業。ラーメンのオペレーションは主人が概ね習得、味は未知数、経営に関しては、不動産デベロッパーにて半年働いた経験をフルに生かすことができました。

会社を起こして一年間、資金調達がうまくいかず結局身内から工面。ところが、最初の茗荷谷の店は大外れでした。オープンしてしばらくは、まったく食べていけない。味も今とは違い理想の姿も作れず、結局、形ができるまで1年半かかりました。必死にやってるのに、まずくはないのに売れない。そんな長く厳しい時期が続きました。まともに給料がとれるようになったのは、起業して2年後です。

全部事業のためにお金をつぎ込み貯金も使い果たしたので、3人の子供の食事は、収入がないと無料になる保育園の給食のみ。それが栄養のあるもので助かりました。でも、絶対私はラーメンで世界に出る。会社を大きくすると信じていたので、そんな生活を卑下するというよりは通り道と思ってて、いつもポジティブにやってました。

毎日毎日、タレだけでも何通りも作り、塩分とか糖分とかの数パーセントの化学実験のような調整。ようやく形ができてきたので、リニューアルとして打ち出したところ、お客様の反応に手応えを感じ、都心に出た方がいいという確信が生まれました。成長性を示す資料も出せて、銀行に提示したら大きな融資を得られたので、歌舞伎町に移転しました。

女性経営者としての自立

これ以降の、焼きあご塩らー麺「たかはし」の快進撃は、多くのマスコミにも取り上げられて、ご存知の方も多いだろう。歌舞伎町の新宿本店は、昼も夜も深夜も大行列。一時は界隈の風物詩となっていた。その翌年以降、首都圏各地に「たかはし」を続々と出店。髙橋社長の女性経営者としての手腕は、ラーメン業界にとどまらず、経済界、そして多くの女性の間でも注目されることとなった。

「若かりし頃に淡い期待を抱いていた、キャリアがある男性と結婚すれば養ってもらえる、みたいな感覚は立ち消えました。自分自身で経済的に自立しようと決意。主人もラーメンが好きでしたが、ビジネスにしたいという考えではなくて。3店舗目をオープンしたころ、会社組織として、適材適所の公正な人事をするためには、家業の延長では難しいと感じ始めました。夫婦で互いの役割を話し合った結果、主人には会社を退職してもらうことになりました。子煩悩で料理の得意な主人と、仕事過多な私、夫婦として凸凹の組み合わせがよかったのだと今は感じてます。理解してくれる家族にも感謝ですね。

「たかはし」の焼きあご塩らー麺とは

さて、「焼きあご」とは、トビウオを炭火で焼いてから乾燥させたもの。長崎県平戸市が代表的な産地。旨味の強い高級なだし素材として重宝されている。

「焼きあごは、量を使えばいいということだけじゃないと分かり、第一印象でガツンとくるように、器のサイズから考えました。

あごだしは、2018年から自分たちで加工する準備をしてきました。来春にはたかはしの原材料の焼きあごが全て切替わる計画です。生産加工は海外なんですが質がとってもいいんです。回遊魚なので世界中に泳いでいて、長崎と同じものが海外でもとれるんですよ。安価なだけではなく安定的に漁獲できます。こちら側で加工工程の非常に細かなチェック項目を作り、項目に沿って炭火による火入れや乾燥まで。原料が良くて、日本の加工技術も体現できるならば、賃金が安いところで生産した方がいいんです。

ラーメン屋がだしを原料から開発するなんて聞いたことないですが、それが私たちの強み。しかも、日本で出回る業務用の焼きあごより、品質もすごくいいんです。

一杯820円のラーメンに高級だしが使える。品質は長崎なのにコストは押さえられる。ちょっとジャンクな脂ののりも含め『たかはし』のラーメンに一番適するようにオーダーし、仕入れの構造から変えることが可能となりました」

高いスタンダードを保ち続けること

髙橋社長は、創業当時から苦労を共にし、一緒に上を目指してきたメンバーに対する熱い愛情をそそぎながらも、人に合わせると、成長のスピードが鈍ると考える。

女性ながらも、ブレない強い信念を貫く経営者であり続ける。そして、家族や社員に約束したことは必ず守る。そんな株式会社ヒカリッチアソシエイツは、厳しさや緊張感にも満ちていた。

「創業当時のあんなに苦しい時代から、世界に出る、会社を大きくすると言ってたので、自分でもやって示したし、そんな空気感で働く仲間は自然とスタンダードが高くなってくるんです。私が一言いうと、その背景にどんな考えがあるかを理解してもらえる。2~3店舗までのマネジメントはこれが最強でした。

ただ、成長スピードがこの一年ぐらいで一気に上がり、自分が店に立って「やって示す」が難しくなると、今度は組織作りが重要です。理想を高く持つこと。売上とか店舗数ではなく、理念とか、社会に対する大義とか、そういうものに高い理想を持つべきだと思います。上手くいかなくてもブレてはいけない。その高い理想に、組織を最適化させる為の、正しい判断をしなければいけません。それが経営です。

全社員と年に2回、面談するんですよ。面談は1時間ずつ、その人だけを真剣に考える時間にするので、話した内容がどういうモチベーションになるか考えると眠れなくなります。

全ての店舗で、『最高の一杯と最高のサービスで明日の元気を創る』と全員で唱和して1日をスタートさせます。お客様に喜んでいただくことを最優先にするラーメン屋。どんなに多店舗展開しても、スタンダードだけは崩さない。高いスタンダードで私たちのポジションを保つ。その実現のためにトレーニングや社内イベントは欠かせません。結果的に人材の市場価値も上げると信じています。」

魚介だしのラーメンを世界に

髙橋社長の中には、すでに会社の中長期計画、さらに先のビジョンも固まっていて、株式公開の時期を含め、きちんと数字ですらすらと語る。よほど自分自身に念じ続けていないとそれはできないだろうと、改めてその底力を感じる。

会社を大きくするというお話は十分に伺ったので、もう一つ、世界に出るについてはどうなのか、最後に聞いた。

「2020年2月で5年になりますが、メインの焼きあご塩らー麺だけは今だに食べ続けてチューニングを重ねていて、創業当初に比べ確実によくなっています。それがラーメン一業態だけでやってる強み。単一業態なので、この一杯の改良にかける時間と努力だけは誰にも負けたくない。思いっきり経営者すぎないけどラーメン屋としては経営者ですよね。

魚介だし、すごく可能性を感じるし、まだまだこれからです。特に世界的にみると早すぎるぐらいです。ラーメンの場合、とんこつはすでに浸透してきましたが、魚介だしについては、素材の調達から法律的なハードルも高いのです。

でも、だしでラーメンを広めようと思うと、チャンスは大きいですよね、

まずは国内と考えていますが、世界に出ると公言していますし、アジア、アメリカ、ヨーロッパこの三大陸はやりたい。資金と責任者が整うのが最低条件ですが」

深窓の令嬢が20歳そこそこで母になる決断をし、ご家族の強力のもと、再びビジネスの世界に返り咲き、ご自身の更なる高い理想へと着実に上昇している。

髙橋社長は日々、自分の女性としての決断や行動が正しかったのか自問している。

でも、「私のかあさんってラーメン屋やってて、1日2,000人のお客さんが来るんだよ」と自慢げにお子さんが話していてるのを聞き、今の生活に引け目を感じていないようだと安心したそうだ。

それで正しいと思う。いや、それは全ての働く女性の悲願なのかもしれない。


株式会社ヒカリッチアソシエイツ
【URL】https://takahashi-ramen.com/

【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。

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