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第20回 共に働く仲間を愛し、一緒に成長したいと願うハートフル経営。株式会社JO 尾山淳社長

大人気店、五反田「酒場 それがし」とは


それがし、と聞くと古い難しい言葉のようだが、幼い頃から時代劇や日曜夜の大河ドラマに親しんできた日本人にとって、拙者と同様に自分をへりくだっていう一人称として馴染み深い。五反田にある「酒場それがし」に初めて接したとき、まさに温故知新というか、古いのに新しい、ひらがなの美しさを感じた。

「酒場それがし」は、トップの地道な経営と卓越した企画力や戦略で、その後も着実に店舗を増やし、東京の飲食業界を駆け上がっている。そんな集団を率いるのが、株式会社JO 尾山淳社長だ。

「『それがし』という店名は、今も自分の右腕でオープン時からのメンバーが考案したものなんですよ。ぼくも、濁点が一つ含まれるひらがな4文字にこだわっていて、それがしは、ちょうど当てはまるし響きや意味もピッタリ。即決でした。

さらに、純米酒専門店と打ちだしたのは、ワイン酒場だと埋もれてしまう直感があり、当時の日本酒、特に純米酒って、まだまだ難しく語られすぎていたので、気軽に接することのできる、ただの呑ん兵衛たちでやっているニッチな空間が、受け入れられるかなと考えました。」

サービスマンとして歩んだ尾山社長の修業時代

「ぼくは、高校生のときからお店を持つことが夢でした。早く親に楽をさせたいという気持ちも強かったんです。そのころは服飾関係を考えていたんですが、大学時代アルバイトをしていた飲食店のお客様から、ものすごくイキオイのあった飲食運営会社を紹介され、そこの西麻布の店でお世話になりました。

ただ、その会社のあまりに高いプロ志向が自分の身の丈に合わない気がして退職。その後、様々な飲食店で働きました。さらに、将来の独立を考え、仲間を募り物件も探していたんです。いずれにしても、キッチンの外、サービス関連以外の仕事はしたことがありませんでした。」

こうして、独立を意識しながら修業を続けた尾山社長。ある飲食店経営者に認められ、その会社が立ち上げる新業態に全面的にかかわっていた最中、転機が訪れたという。

「自分も深く尊敬し、自分を評価してくださる経営者との出会いをきっかけに、新しく立ち上げる業態に知力を注ぎました。現在でも大変人気のある飲食店で、当時本当にいい企画ができあがったんです。ところが、その店のオープン半年前、またとない物件情報が飛び込んできました。

そこで、ずっと企画してきた新店立ち上げに携わりながら、一緒にやろうと決めていた仲間と、五反田に『酒場それがし』をオープンしました。一年近く、店主不在の営業でしたが、五反田の好物件を得た幸運を逃してなるものかと必死のスタートでした。」

酒場それがしの強み

現在では、飲食店での実績や経験、企画力などを遺憾なく発揮している尾山社長だが、そんな運命的な出発だったのだ。尾山社長を信頼して起用した経営者に対する恩義を貫き、自分の夢の実現も果たす。二足の草鞋ながら、少しずつ「酒場それがし」は、酒好きの面々から市民権を得始めた。尾山社長は続ける。

「ぼくは全く料理ができません。そして、ぼくと一緒に『酒場 それがし』を始めた友人も、元々はアパレルを経営していたりと料理とは無関係だったんです。しかしぼくは、料理人を雇うよりも、料理は全く素人の自分たちでもできる範囲で賄おうと決心。包丁が使えないので刺身は出せません。であれば逆に、料理人がいないからこそできることをやろう。ポジティブな発想ですね。自分たちが飲みたくなるツマミを作る。メンチカツやポテトサラダなど、時間をかければ自分たちにもできるメニューです。

立ち上げた別の店を軌道に乗せて、一年後に戻ったぼくは、様々な手直しを含め、自分の店を丹念に育てることに専念しました。」

五反田に着目した視点

「それがし」というと、五反田のイメージが強い。酒場だけではなく、鳥料理、肉料理の「それがし」、焼鳥の「とり口」、さらに2018年バルも出店した。尾山社長の考える五反田とは。

「自分が主に働いた西麻布や恵比寿をまずは考えました。でも西麻布は敷居が高く、恵比寿など、自分がオーブンできるクラスの物件は年に2~3件しか出ないんです。しかも初めてのオープンだから信用もキャッシュもない。ハードル高すぎました。

店を開くとき、ぼくは土地勘が大切だと思っています。さらにいえば、町から生まれる空気感みたいなものでしょうか。五反田は、一緒に組んでやろうと決めていた友人が暮らしていて、伸びしろを感じた町でした。少々アウトサイダーな場所との古い認識を持ちつつ、企業が多くてビジネスマンは行きかってますし、昔ながらの酒場も根付いて、飲むぞ、みたいな前向きな機運が町全体から溢れています。」

サービス一筋だったから築ける信頼関係

オーナーシェフなど、料理人が経営者であるケースが多い日本の飲食店。サービス一筋だった尾山社長は、大きな苦労も背負いつつ、その立場を生かした戦略や信頼関係を構築した。

「料理人のパワーって飲食店ではやっぱり強力なので、サービスが相当タフじゃないと務まりません。

料理人なしでここまでやってこれた自負は、その後優れた料理人が入っても、リスペクトはするけど対等でやっていくよ、サービススタッフの声も聞いてくれと、強い気持ちを伝えることができました。

今はもう、焼鳥とかイタリアンとか料理人がいないと成り立たない店も作りました。実際シェフや板長に辞められると困るんですけど、そうならないような信頼関係を築くこと、万一そうなっても、うろたえない体力をつけておくことを考えています。シェフや板長の個人技頼みになりすぎると、まさかの事態に店は立ちいかなくなる。そんなことを料理人とも常に隠さず本音で話します。

2018年、五反田に『LOVAT』というバルをオープンしました(『LOVAT』の一号店は恵比寿)。一店舗目から頑張ってくれたスタッフが独立したいという話になって、彼のアイデアが新しすぎるのと、私利私欲なくもう少し修業が必要だと思ったので、社内でチャレンジしてみなよとアドバイス。一生飲食をやっていく気なら、ここでちゃんと立ち上げを経験して成功体験を積んでからでも遅くはないと話し、出来上がった店なんです。」

スタッフを想う、経営者としての尾山社長の考え

尾山社長は、ここまで店づくりに成功し成長させながら、ご自身がマスコミに出ている場面がほとんど見つからない。正直、筆者も取材を引き受けていただけるかどうか不安だった。

「最近特に、自分は出ない方がいいかなと思い始めました。飲食店ってお客様と従業員がダイレクトな仕事じゃないですか。なのにオーナーが取材を受けることに対し矛盾を感じるんです。勝ったら選手のおかげ、負けたら指導者の責任と、高校時代の部活の先生に言われた言葉も重くて。お店やスタッフが出るのはどんどん推奨しているんですが。」

尾山社長の言葉、筆者はストンと腑に落ちた。尾山社長が経営するどの店においても、オーナーのプレッシャーというか、影すら感じることはなく、スタッフの自主性を重んじておられるスピリットを感じたものだ。

新たなブランド作りへの挑戦

会社というよりは集団でいたいという尾山社長。お店ごとに責任をもって即断即決できる、各集団としての責任や価値を求める経営をしたいと話す。

「株式会社JOの底辺にあるのは、やりたい人間とやるには、どうやったらうまくいくか、という考え方です。一方、人を軸にして、自分が大元のコンセプトを考える方法だけでいいのかと悩み始めました。体力もついて投資も可能な今、人に頼りすぎないビジネスモデルを考えたい。新たなブランドを作って、活躍してくれているスタッフが余裕をもって仕事ができるよう、もう一つの車輪を走らせたいんです。

ビジネススタイルを二つ持てれば、すべての速度が上がります。スタッフの人生設計を考えると、もっと速度を上げなければ、それに見合うことができません。

気持ちを高め自分自身のインプットを増やしていかないと。ここ最近は飲食を愉しみすぎたかなと反省しています。それも大切ですが、また新たな企画を練りたいので、神経を研ぎ澄ませて飲食したいと思います。」

株式会社JOとは社長のイニシャルだが、情に厚い会社にしたいとの気持ちが込められている。しかも尾山淳社長の淳にも情に厚いとの意味があるそうだ。

尾山社長が込めた情は全てのスタッフに伝わり、間違いなく客へも伝播する。「それがし」に伺うたび、筆者はそこに、尾山社長の溢れる情を感じながら過ごす時間が幸せだ。


五反田 酒場それがし
【住所】東京都品川区西五反田1−27−7
【TEL】 03-6417-9690
【URL】http://www.soregashi.jp/

【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。

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