第11回 天ぷら一筋をつらぬく姿勢が伝統の和食を未来に繋ぐ、株式会社綱八

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つな八 新宿西口店への感謝

ぼくは勤め人時代からずっと、新宿が乗換駅だった。今の新宿は南口周辺の様変わりと、大量の外国人観光客、チェーン店化の波が押し寄せ、小説家や出版人、劇団員らが激論を交わした独特の文化も失われつつある。
いっぽう、勤め人で薄給だったぼくを支え、モチベーションを高く保ち続ける支えとなった店がある。天ぷら「つな八 新宿西口店」だ。「つな八」は新宿総本店も知っていたが、ぼくが通ったのは西口の地下一階で、もう少しカジュアルな店舗。ここもすでに50年というから驚きだ。

つな八 新宿西口店

大阪出身のぼくにとって天ぷらといえば、母が惣菜店から買ってくる、衣と中身の量が同じで空腹を満たすことが最大の魅力なおかずだった。関西では、冷めた天ぷらにウスターソースをかけて食す。何の違和感もなく食べることができたのは、天ぷらの素材自体が粗悪なものだったからに違いない。いまや全世界に展開する「丸亀製麺」にはソースが常備されており、天ぷらとソースの組み合わせをここで自らリバイバルさせた。

さて、天ぷらの「つな八」での食事は、おいしさとボリューム、駆け出しのビジネスマンにも手が届く贅沢さの三位が一体となって、当時の最大の「ご褒美」だった。仕事が完遂した折や、理不尽な思いでこのまま帰宅したくないとき、ただひたすら腹が減っている夜など、西口改札から中二階に上る感覚のエスカレーターを使って「つな八」に急いだ。

「私たちの店では『お値打ち』といってますが、けっして敷居が高くない程度の値ごろ感。これは、先代からの強い教えです。いい素材と優れた技術の天ぷらをいかに手頃に食べていただくか。しかも江戸前天ぷららしいライブ感を添えて。そこを守るのが『つな八』の使命でもあるんです。加えて、より分かりやすく楽しんでいただけるよう定食のスタイルで提供したのも当店が初めて。ご飯やお吸い物に至るまで、決して手を抜きません」と、株式会社綱八社長志村久弥氏は語る。

日本全国に40店舗を展開する株式会社綱八。飲食会社としては相当な規模だが、志村社長にお話を伺っていると、ピュアで迷いのないまっすぐな性格がひしひしと伝わってくる。まさに天ぷら一筋の人生も大納得だ。天ぷら定食を注文して、必ずご飯をお替りしたくなる美味しさは、「お値打ち」のコンセプトにも合致する。


天ぷら一筋のスタート

「子供のころはお店のカウンターでミニカーを走らせて遊び、学生時代は真剣にハンドボールと取り組んでいたこともあり、アルバイトは『新宿 つな八総本店』でしかやったことがないんです。当時の相場より相当高い時給を父から提示されて、その誘惑に負け、他に目移りすることがなかったんです。父の策略にまんまとハマったといいますか。
ぼくは長男ですし幼いころから自分が『つな八』を継ぐもんだと納得していたけど、大学卒業時に大手銀行からも内定をもらっていて、そこでお金について少し学んでから、というか自分としては外の世界を見てから、という気持ちもあったんです。
ところが、父にも相談して一度は銀行への就職を決めたのに、銀行に務めてお前は頭取になれるのかと問われ、そんな短期間で頭取になれる訳はないと答えたら、それじゃ務める意味はない、卒業と同時に総本店で修業するように、と言われました。考えた末、銀行は断念。でも意外と違和感なく天ぷらの業界には入れました。ずっと学生時代からここでアルバイトをしてきて、職人やサービスの皆さんとも親しくしており、ああ、これも父の戦略だったかなと、後で思いました」

新宿つな八総本店(昔)


ところが、運命なのだろうか。入社して半年を過ぎたころ、先代が脳卒中で倒れられ、今までのような陣頭指揮を執ることができなくなった。虫の知らせというか、ある意味銀行への就職を選ばなかったのも宿命。こうして、志村社長の天ぷら一筋人生はスタートしたのである。

「突然の父の離脱で大変ではありましたが、父の背中を見て育ってきたぼくには、何が大切で、何を自分たちで判断しなければならないかがすでに分かっていたような気がします。当時の仕入れは、各店舗のオーダーをファクスで受け取り、それを仔細に見ながら電話をするのですが、父は誰にも託すことなく、出先でも必ず自分でやっていました。家族旅行に出かける際も、選ぶ宿泊先には、まずファックスがあるかどうかの確認から、だったんです。今やそんな時代ではありませんが、注文や仕入れが経営の要だとは、子供のころからしみついていました」


我が新宿のライバルは銀座

「つな八」の総本店は志村社長が生まれ育った新宿にあり、総本店以外にも新宿で5店舗、デパ地下も合わせると7店を数える。志村社長の新宿への想いはこうだ。

「『新宿 つな八』と称しているぐらいですから、我が町新宿に対する気持ちはアツいです。多店舗といっても、出店形態や場所、ターゲットが違うので意外とお客様は被らないんですよ。用途や時間に応じて使い分けていただいております。
私の中で常に意識するのは、新宿のライバルは銀座。気取った銀座に対し、地に足着いた奥の深い新宿、でしょうか。銀座に『天一』さんがあるなら、新宿には『つな八』ありです。そんな新宿の個性や文化を守り、新宿の伝統を継承していきたいですね」

新宿つな八総本店 カウンター

綱八独自の経営理念

お話をうかがっていると、ここまで強い信念と地元愛のもとでプレない経営を続け、他に目を向けることなく天ぷら一筋なことも、さらなるモチベーションとなっているように感じた。今後も他業種に参入する予定はないのか伺うと、

「多業種の店を展開するという気持ちはありません。ただ、同じ和食の専門店、例えば鮨とか蕎麦とか、そういった店を傘下に加えないかとのオファーはいくつかいただき、真剣に考えました。今のところ実現はしていませんが、伝統的な和食専門店同士、交流が生まれれば職人が刺激し合えると思うんですね。『つな八』の職人にはそんな経験をさせたいと考えています。同じ和の食材やダシを使って違う料理を作るわけで、きっと勉強になるはず。なので、いずれそこに踏み込む可能性はあります」

志村社長の頭には「つな八」の天ぷらと同時に、常に一緒に働くスタッフがあり、そこにも成功のカギが隠れている。きつい飲食の現場でも、できるだけ休みが取れるようローテーションで頭を悩ませ、『お値打ち』な天ぷらを客に提供しつつ、スタッフにも少しでも多くの給料を出したいと、自らは秘書もつけず日々奔走する姿に胸を打たれる。

「『つな八』は、ある時期からきちんと定期的に新卒を採用するように心がけ、新卒者が先輩から仕事を習うことで職人として成長していける環境を作っています。ゆえ、『つな八』の職人はほとんど『つな八」出身なんです」

これだけの大所帯で、他から採用した職人がほとんどいないというのも瞠目だが、
末永く「つな八」で働きたいと願う、風通しのよい社風も志村社長の持ち味なのだろう。


伝統の和食としての次の一手は

これからの「つな八」はとの質問に、
「今まで、特に父の時代は、デパートや駅ビルなど人の集まるところへ積極的に出店してきました。時代の流れといいますか、そういった場所で多くのお客様に対応するだけではなく、席数減らしスタッフも少人数で回せる路面で、じっくりと育んでいける店づくりをやっていこうと考えています。
そして、無形文化遺産にまで登録される和食ですから、やはり世界に目を向けたい。日本の食文化である天ぷらを世界に広めるのと同時に、当社の従業員にもグローバルな視点を持ってほしいと願うからなんです。
アジアの主要都市、シンガポールや香港などに出店し、そこで日本の職人によって現地の職人を育てる。また、そんなアジアのスタッフが日本に来て学び交流すれば、日本の職人も、技術的にも人間的にも成長しますよね。
もう一つ、欧米についてもいずれ出店したいと考えています。元々天ぷらは、ヨーロッパから伝わってそれが和食として進化した料理。これを改めてヨーロッパに問いたいという気持ちは強いんです。
パリやロンドンとなると遠いですし、本当に信頼できる職人を長期間滞在させなければ成り立たちません。それなりの人選と覚悟を持って臨まなければ実現は難しいでしょう。
ただね。ぼくの妻へのプロポーズが、30年後にはパリに店を出すからという約束なんです。実は妻はフランス語を教えるほどペラペラで、将来はパリで暮らしてもいいわと言われてまして(笑」

奥様に対しても、微塵のてらいもなく今でも結婚当初の約束を守りたいと願う。
つな八というブランド、そして一緒に働くスタッフ、ご家族、どの場面でも分け隔てなく自分の愛情と英知を注ぎ続ける志村社長の姿は、天ぷらの持つ、過去から未来へのエターナルな魅力と見事に重なりあっていた。

天ぷら新宿つな八
http://www.tunahachi.co.jp/


【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。

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