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第10回 ナポリピッツァを皮切りに現地の味を伝え、新たな試みを続ける株式会社グラナダ。常に料理人の支えとなってきた下山社長の存在の大きさ。

日本橋の一等地に吹く本場スペインの風


サンパウ東京店 外観


日本経済の中心東京日本橋。林立するビルの谷間に、程よい大きさの中庭がある。その奥には、界隈には似つかわしくないモダンな二階建てが見える。
近づいてみると、そこはレストランだと分かる。というのも一階がキッチンのようで、きびきびと働く料理人の姿をガラス越しに見ることができるからだ。

サンパウ東京店 店内


「レストラン サンパウ」。スペインはバルセロナ近郊にあるミシュラン三ツ星レストランの唯一の姉妹店が日本橋のここ。昨今、ヨーロッパの高級レストランでは、こうして厨房を見せることも演出の一つとなっていて、厨房の中を通ってダイニングに進むアプローチも存在する。しかし、仕事場をオープンにすることに躊躇しがちな日本の食文化では、画期的な英断である。

厨房横のドアを開け2階に上がると、そこがダイニングだ。どんなにモダンで素敵な内装でも、窓の外にはすぐ隣のビルが迫っている東京のレストランシーンにおいて、中庭のおかげで視界を遮るものがなくすこぶる快適だ。同じようなレイアウトのスペイン本店は、さらに中庭の先にはキラメく地中海を望めるという。

サンパウ本店


「2か月間スペインに滞在し日本に出店していただくよう交渉しました。当初はまったく受け付けてももらえませんでしたが、自分がこの店の料理をどんなに好きかを訴え続け、徐々にぼくのレストラン経営に対する考えや味覚の共通性や日本の魅力にも気づいてもらい、やっと出店にこぎつけました。それなりに大変だったんだろうけど、今はもういいことしか思い出せません。シェフのカルメは女性で、普通の主婦からスタートして、他のお店での修業経験が全くない中で三ツ星レストランを築き上げた稀有な人ですが、えらぶったところがなく非常に気さく。また「サンパウ」のスペイン本店はカルメの生まれ故郷にあります。そこはカタルーニャの地中海沿いにある小さなのどかな街。実はカルメの旦那さんは小学校の同級生で、常に一緒にいます。日本にも一緒に来ますが今でも相思相愛です」。

カルメ氏


大学ではアメフト部でアメフト中心の生活だったという下山雄司社長は、過去を振り返りながらもトークのテーマは人へと移り、シェフご夫妻の魅力を精悍な笑顔で楽しそうに綴る。
下山社長は、個性的なレストランを数々展開してきた、飲食業界を牽引する一人。でも、そこに驕りも食通としての背伸びもなく、人や料理を信頼し惚れこんで、一つ一つ大切にバックアップしながら築いた歴史を感じさせる。

築地にて


三ツ星レストラン「サンパウ」の日本への誘致に際しても、巨大商社や手練れデベロッパーの力は借りず、ほぼ一人でやってのけたと伺った。だからこそ、スペインから全く出る気もなかったシェフの気持ちを動かすことができたのだろう


ナポリピッツァを日本に広めた先駆者

下山社長は続ける。
「ぼくは大手広告代理店に入社して、そこでずっと人生を全うするつもりでした。仕事は楽しかったけれど、何年か過ごしているうちに、大きな会社って派閥があっておのずとそういった派閥の中に巻き込まれていく気がして、自分らしくないと感じたんです。そんな時に、大学アメフト部の一年先輩から、ナポリで学んできたピッツァの技術を使って日本で初の本格的なナポリピッツァ専門店をやると聞きました。事前にはいいことを言う人もいたのに、実際お店をするとなると手助けしてくれる人がいないと困っていたので、参加することにしました。当時日本にあったアメリカ型のピザは嫌いだったけれど、よく旅行していたナポリで食べる薪焼きのナポリピッツァは好きだったんですよね。
当初はちょっと手伝うみたいな感覚でした。初めはまだ広告代理店の社員でしたし、会社にも夜の空いている時間だけを使って手伝うと報告していたし、無給だったんです。
自分が飲食店の主なんて、全く想像もできなかったものの、この仕事ってどこにも属さなくてもよく、派閥に埋もれることなく、等身大でやっていけますよね。それが自分の性に合ってたんだと思います」

下山社長が作ったピッツェリアやイタリア料理店の足跡は、そこに長く在籍した料理人が独立して、亀戸の「メゼババ」、戸越銀座の「ピッツェリア恭子」、祖師谷大蔵の「アオジソシガヤ」といった当代の超人気店に引き継がれている。さらに言えば、ミシュラン三ツ星のフランス料理店「カンテサンス」も、元々は下山社長傘下だった。

「料理人は、料理を作るうえで高い才能を持っていても、上手に店舗経営ができるかどうかは未知数です。その点『カンテサンス』の岸田君(岸田周三シェフ)は両方の力量を持つ男だった。彼との出会いはまだ彼がパリの「アストランス」でスーシェフをしていた時。ぼくと彼が双方、別々に親しくしていたライターの大谷さんから、岸田君が夏に一時帰国している時に、どこかのお店で彼の料理を食べる会をしたいので、お店を貸してほしい、と。この『サンパウ』月曜定休だったので、お店を丸ごと使ってもらいました。その時に初めて食べた料理が日本にはまだないフランス料理でなかなか良かったので、もし日本でお店をやる気があるなら連絡して、と伝えました。ほどなくして、岸田君からメールがきて、メールで何度かやりとりをしました。彼がフランスから帰国前に会ったのは一度だけ。パリの24時間営業のビストロでオニオンスープをすすりながら、話しをしました。岸田君から、料理とキッチンのことは任せてほしいけれど、他のお店まわりの設計のことは分からないから任せます、と言われた。今やどこの店でもやるようになった真っ白なメニュー。料理はテーブルごとのおまかせコースのみゆえ何も書かないという画期的な試みは、日本のフランス料理では彼が最初です。メニューを一つに絞って食材のロスを極力減らすことで高い原価をかけることができる。シェフのこだわりと理にかなったアプローチも見えて経営的にもすばらしい才覚なわけ。でも、数年前に岸田君がうちから独立して1年ぐらいたったとき、自分でこの1年間で全てをやってみて、どれだけのことをそれまでグラナダにしてもらっていたかを痛感し、下山社長のありがたみをつくづく感じてますって言ってれたんですよ(笑)」


料理人ではないからこそ築ける信頼関係


「自分は料理はもともと好きだし、素材や器などを見つけに行ったりはよくしているけれど、料理の勉強を本格的にやった料理人ではありません。結果、それがよかった。レストランの現場にいるメンバーとは、立場が異なるので主従関係でもライバルでもない。だから料理業界出身者がオーナーの店より軋轢は起こらないんです。しかも自分が、国内外のレストランや現地で観てきたこと伝えることもできるし、長年店舗のオープンを繰り返してきた経験から、初めて料理長を務める人やオープン時のオペレーションを支えることも可能。自分でもいいポジショニングだと思っています」

そんな下山社長を最近表舞台で見ることが少なくなった気がする。過去の記事を検索しても2005年あたりから顕著に減っていた。下山社長はこう語る。
「レストランの経営はね、何もオーナーが表舞台に出る必要はないんですよ。お客様には誰がお店のオーナーであるかは関係ないし、特に自分は、オーナーや経営者と呼ばれて前に前にというのがあまり好きではない。時には世間から注目されることもあるけど、さまざまに真実とは違うイヤなことも言われるわけでしょ。インターネット華やかな時代になってからは特に。現場も任せてもらうとやる気が出るだろうし、ガツガツしないで表に出ずに、完全に裏方に徹する方が自分は仕事がしやすいですよ」

下山社長は、一時大手商業ビルへの出店も数多く手がけて成功。大手デベロッパーからの信頼も厚くその道のスペシャリストとも目された。ところが、その点についても最近は違うようだ。

「当時の大手不動産会社担当は、皆さんすごく魅力的で熱意が伝わってきて、一緒に仕事をすることが楽しかったんです。でも、大手だから人事異動があって担当者が替わり、今はまじめで上下関係を重視する典型的なビジネスマンも多い。また商業施設も今は乱立しているから、想い入れを感じられないことも正直増えました。また、ぼく自身の生活圏が、最初の店をオープンした白金や、その後出店した六本木エリアから東へと移った結果、もともと馴染みがあったこっちの方が居心地がいいんですよね。となるとなかなか運営する店に出向くこともおっくうになってしまうし。ゆえ、都心の西側の店は、ほとんど閉めてしまいました」。


今後の展開も下山流

日本に初めて本格的なナポリピッツァの魅力を伝え、イタリア、フランス、スペインとヨーロッパを歴訪するようなストーリーでレストラン展開をされてきた方という印象も強いが、実はナイフフォークを持つのも月に一度ぐらいと、逆にお箸や和食の魅力を語り始めた。

「生活の拠点を東側の下町エリアに移した結果、さらにお箸の嗜好は強まっていて、以前にも増して今やディナータイムのお相手は下町のおばちゃんです。下町の酒場で気兼ねなく酒を飲みながら、実はこの次の構想を練っているんですよ。

ナポリピッツァでこの世界にデビューし、来年で株式会社グラナダが20周年を迎えることもあり、長年温めてきたアイデア、試作を繰り返しストックした食材・調味料を結集させたレストランを、2018年4月末、銀座にオープンします。ひらがなで『いぞら』といいます。
自ら始めたピッツェリア『イゾラ』に、国産素材と日本の四季の概念を持ち込みました。食材、そしてそれと相性のいい同地域に根付く調味料、例えばみそや醤油等も併せて日本製のものを使ったピッツァを提供します。ベースとなるトマトソースやピッツァ生地の粉やチーズなども国産を調達しようといま奔放中。自分たちが『イゾラ』を始めたときは、苦労を厭わずできる限りイタリア製を使って本物の味をお届けした、その信念をオール国産にぶつけました。例えば、きりたんぽピッツァとかね。比内地鶏、セリ、ゴボウといったきりたんぽ鍋の具材を載せ、マストなきりたんぽは、上からクリスピーライスを振りかけて表現します。
調味料としても使えるオリジナルの『サンチョビ』は、一年以上前から仕込んでいます。アンチョビのサンマ版なんです。単なる塩辛さだけではないサンマらしいうま味も加わって、お客様に和のテイストも感じていただけるはず。もちろんイタリア料理店なので、四季の日本食材で季節を表現したパスタやメインも、すでに一年以上、四季を通じて試作を重ねてきました。きっとぼくたち日本人にとって一番好みの味に仕上がると思います。日本人はもちろん、外国人も喜びますよ。またピッツァ窯には、通常のタイルではなく日本の伝統素材“瓦”を貼ったり、看板や内装にも日本らしい素材を取り入れたりします」

『いぞら』構想案


黒子、裏方としてレストランの立ち上げやオペレーションに立ち会い、そこに充実感や使命、そして真の面白さを見出した下山社長。レストランを支えバックアップする立場で原稿が書きたいと願うぼくにとって、大変頼もしい眩しい存在に見えた。ますます下山社長のこれからに目が離せなくなった。


株式会社グラナダ
https://www.granada-jp.net/


【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。


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