第8回 長く愛されるバランスのとれた店を大切に育む、「なかむら」の哲学。
バブルの記念碑的飲食物件の再興
東京都渋谷区広尾、具体的には広尾ガーデンヒルズの手前。「味のなかむら」はある。ここは、無印良品の店舗や世界中の大手ホテルの内装を手掛けるデザイン会社「スーパーポテト」が、バブルの余韻を残す1992年、贅を尽くして作り上げた空間。元々はサントリーの高級ウイスキーを冠した「春秋響」として10年、その後「二期倶楽部」が10年と引き継ぎ、現在は、有限会社フェアグランド代表中村悌二氏の名前をそのままに「味のなかむら」となった。
代表的なメニュー「刺身の三種盛」をいただく。
三皿に分けられた季節の魚は、普通の刺身の概念とは異なりそれぞれ違う味付けがされている。三種盛といいつつ豪華に見せたい大皿ではなく醤油用の小皿も添えられない。味が混ざらずそれぞれが変化に富む、つまり酒や会話が進む。そんな小さな工夫が、「なかむら」の根底にあるんだなと改めて認識する。
中村代表は言う。
「ここは、90年代からずっと、港区界隈の隠れ家としてオシャレな大人が集う場所でした。立地と内装、今でも本当にすばらしいでしょ。ここを壊してしまうわけにはいかないですよ。東京の飲食シーンにおける文化財的存在かもしれません。そして、この空間の持つ民芸的な優しさ木のぬくもりに合致するよう、『味の』とつけたんです。
ぼくは、株式会社カゲン社長として多くの飲食店、商業空間のプロデュースもしています。でも、直営の店舗は有限会社フェアグランドという別会社。全部で7軒と少ないんです。お客様に長く愛され続ける店を、それこそ何10年もかけてじっくりと作っていきたいと考えているからです。
意外と思われるんですが、ぼくは自分で物件を探したことがほとんどない。そんなにネットワークを広げるつもりもないけど、コアな何人かのメンバーから大切な情報がいただけます。『味のなかむら』も、そんなご縁で二期倶楽部から引き継ぐことにしました」
下北沢で、花とボサノバの店からスタート、そして・・・
中村代表のスタートは下北沢のバーだった。
その頃のシモキタといえば、東京で最もアツイ、先端の人種が集まる街。ここを代表するバーとして君臨していたのは、今も残る「レディジェーン」だ。松田優作のキープボトルが残っていることでも知られる。中村代表は、そんな伝説の店のすく近くでバーを開いた。「レディジェーン」がジャズとバーボンだったので、路線を変えてボサノバとラムの店にした。ぼくは今でも、地下に降りると花にあふれていた「フェアグランド」というバーをかすかに覚えている。
中村代表はこう続ける。
「ぼくはバーがやりたかったわけではなく、会社員を辞めて独立したかった。下北沢はマーケットも熟知し訪れる客層も身近に感じていたので、まずはバーならやれると信じて始めました。ところがバーを開いてみると、来店するお客さんから頻繁に、どこかいい和食店ないかなとの質問が多すぎ。それで一念発起、今度は同じ下北沢に和食店『なかむら』を開きました。自分の中村という店名にしたことで責任が芽生え、もうここからは抜け出せないと観念したんです」
当初中村代表は高い給料で和食の料理人を雇うが、やがて自分の求める料理とは違うと感じ始めた。自分の思いや考えを話しても伝わらない。胃が痛くなるほど店に行きたくなくなったという。苦心して料理人に辞めてもらい、店を休んでこれからどうするかを、当時在籍したスタッフと奥様、三人で考え、三人でできることをやろうと腹をくくった。
「そうやって、再スタートして半年ぐらいでしょうか。急に売り上げが伸び始めました。見様見真似で再出発し、例えばお刺身は、サクで仕入れて妻が切るだけなんですが、自分ができること、つまり盛付けには、食器にこだわり、あしらいも含めて工夫しました。好きだったしアパレルにもいたのでその面でのセンスには多少自信もあったかな」
真似のできない「並木橋なかむら」の完成
当時ぼくは、下北沢の小さなビル二階にあったガラス張りの「なかむら」によく訪れていた。中村代表の狙い通り、探すけれど意外と見つからない店にたどり着く客の心理や時間の隙をつく、ありがたい、いや有り難いお店。
「京都の有名店で何年も修業しミシュランで星を取るような15,000円もする店、いっぽう3~4,000円で気軽に飲み食いできるチェーン居酒屋。いずれも強烈な激戦区ですよね。自分はあえて、そのどちらでもない価格帯、飽きの来ない食べ続けられる料理、見栄えする器やスタッフの身だしなみ、そして、寛ぎを演出する内装や調度品。そのすべてにバランスよく気を配り、長く長く愛される店を地道に作ってきました」
やがて、すっかり人気和食店の店主となった中村代表だが、立ち退きで移転を余儀なくされ、次の場所には渋谷を選んだ。明治通りから一本裏手、え、こんなところにというビルに「並木橋なかむら」がある。
「こちらの物件も自ら探したわけではなく、いいところがあるよと紹介いただいたんです。下北沢から渋谷へは、山手線の外から内へといいますかローカルからメジャーへみたいな、晴れやかな気持ちでした」
そして「並木橋なかむら」は、中村代表率いる有限会社フェアグランドの基幹店として成長。誰も真似るのが難しい、誰にも追いつけないポジションの空間で、ファンを連日魅了している。
「並木橋なかむら」そして最初に紹介した「味のなかむら」とも、今でもメニューは中村代表奥様の手書き。手書きのメニューを見たただけで美味しさは倍増、味気ないパソコンのメニューを作るための無駄な設備投資も不要。料理のプロというだけではない、料理を提供するプロなのである。
「料理、器、内装、スタッフ、そして価格。お客様の立場にたって、すべてに納得いただける『バランス』を考え作り上げることが、自分のやってきた、そしてやっていきたい伝えたい全てなんです。何かに突出した個性的な店舗は作りやすいし、話題にもなる。でも、どこかにいびつさを感じて長時間同じ場所でゆっくりと寛ぐことができないと思うんです。自分が0から1へと作った店を、ゆっくり長く愛される空間として育てていく、それが飲食店をやるぼくの一番の楽しみで幸せでしょうね」
2018年、新たな展開
今までの直営店舗では、全てランチ営業を控えていた。それはひとえに、キツい飲食店の現場を長く続けていく中で、スタッフの労働時間や疲労度を考えてのこと。スタッフはすべて社員として登用、長く勤められる職場環境ができてこそ、お客様にも長く通っていただけると中村代表は確信する。
ただ、2018年4月に六本木は欅坂にオープンする蕎麦前「山都」では、ランチ営業も行う。
「まだやったことのないランチ営業ですが、いろいろと人材を工面して回しますよ。
今回で8店目。そんなに店舗数を広げるつもりはなく、あと2軒、トータル10軒ぐらいかな。
でも、さまざまな人とのつながりで声がかかったとき、すぐに対応できるによう準備はいつも怠りません。準備をしていないと、いざというときのチャンスは生かせないんですよ。
株式会社カゲンのプロデュース業では、最近は海外の店舗も手掛けてます。それも、例えばフィリピンにトンカツ店をといわれれば、自分の仲間に美味しいとんかつ店を営なむメンバーがいて、そこにノウハウがあるんです」
さて、この連載でも飲食店経営者から何度か学校開設への思いを聞いた。中村代表はすでに8年「スクーリング・パッド」という学校を仲間と立ち上げ、レストランビジネスデザイン学部を運営。薫陶を受けた多くの卒業生が今も中村イズムを継承してレストランを営む。
しばらく間をおいて、2017年から新たに「食の未来アカデミア」をスタートさせた。
「学校は、ものすごく時間も労力も大変なんです。でも学校のいいところは、自分も他人の話を聞いて学べること、そして飲食経営に適した優秀な人材をいち早く見つけることができることかな(笑。
長く付き合いのある自分の仲間もそうですし、店づくりの段階でも学校の卒業生とでも、小さいながらもキラリと光るコミュニティが出来上がってくる。それがいいんてす。そんなコミュニティを作るのが、飲食店経営を続ける魅力ですね」
そんな中村代表のお話しを伺っていると、この人と仲間になりたい、この人についていこうと切望する人は後を絶たないだろうなあと確信した。
有限会社フェアグランド
http://fair-ground.jp/
【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。