第7回 他にはないレストランを展開し続ける株式会社イイコ。次なる仕掛けは日本初のペッパー料理店。
「アパッペマヤジフ」という名のレストラン
2017年9月末、東京は麻布十番に、何とも奇妙な名前のレストランが密かにオープンした。「アパッペマヤジフ」。この文字をずっと眺めていると、ある意味に気づくかもしれない。反対から読むと、フジヤマペッパア。
世界中の料理を食べることができる東京の、食の街を代表する麻布十番にて、フジヤマを名乗る日本独自の胡椒料理の店が登場したのである。
頭の中は「?」だらけだ。あるフランス人シェフに、日本に胡椒料理の店ができたよと話すと、彼は「すべての料理が胡椒料理でしょ、レストランの食卓にも必ず置いてあるし、アキラでも簡単に胡椒料理が作れるよ」と笑った。
実は胡椒が嫌いな人はいない
ぼくたちは、胡椒が大好きだ。山椒とかラー油とか七味とか辛い調味料は世界中にあふれているが、胡椒ほど様々な料理との相性がよく使用頻度も高く万人に好まれる調味料はない。
ラーメンを食べるときなど、胡椒を振る行為そのものが、もはや味付け以上のルーティンワーク。ラーメンを食べる際必要な所作の一環ともいえようか。
「アパッペマヤジフ」とは、どんな料理店なのか。すべての皿に胡椒が使われる、いや胡椒が大いに主張しているとはどういう姿なのか。久しぶりにワクワクしながら麻布十番へと出向いた。
加えて、この店を手掛けたのは、他にはない場所に他では食べられない料理を提案し続けている株式会社イイコ 横山貴子社長。店舗には看板を出さず、そこを探して訪ねてみたいという意欲的なお客様に、さらに多くのワクワク感で応え驚きの料理を提供したいとする横山社長のコンセプトは、今度の店でどのように追求されるのか。ぼくの興味は極限にまで達したのである。
横山社長と胡椒との出会い
「アパッペってちょっとかわいいでしょ」と微笑む横山社長。
「今までどこにもなかったレストラン、そしてお客様も提供する側のスタッフもワクワクするような空間と料理。それをずっと頭に置いて、約20年間、店づくりや食の発信をし続けてきました。
胡椒料理は、2年前カンボジアを旅行し胡椒畑を巡った際、この美しい色やフレッシュな印象をそのまま日本に持ち込めたらどんなに面白いだろうかと気づいたんです。今、アジアを中心に生産されている胡椒の、ほとんどすべてが実はオーガニックなんです。狙ってオーガニックで育てているのではなく、オーガニックでしか生産できない発展途上国の大きな産業でもあるからです。美と健康をテーマに掲げて食空間をクリエイトしてきた私たちのコンセプトにもきっちり合致するんですよ」
なるほど。あまりにも身近すぎて深く意識することはなかったが、胡椒はすべてオーガニックなのか。それを聞き、そこを立脚点に据えた横山社長の慧眼にも舌を巻いた。
では、どのように日本独自な胡椒料理に仕上げたのか。
「良質の胡椒をあれこれと吟味・入手して、その後のアレンジは店のシェフやスタッフに任せています。ただ、今までにないコンセプトの店に興味を持ち、場所を探してお越しくださるお客様を意識するなら、ちまちました小皿料理を少しずつお出しするのではなく、ドン、ドンと大皿で、見た目にも豪快で楽しくなる皿を、コース料理に組み上げて提供してほしいとの要望を伝えました」
前菜として登場するサラダから、黒く輝くスリランカ産の胡椒をいくらでもどうぞと別に添えられる。ドレッシング自体もあまり経験のないオリジナルなテイストだが、そこに胡椒を投入することで清涼感が増殖し、アペリティフとしての重要な役目、つまりお腹がキュルキュルと鳴るぐらいに食欲に火がつく。
次の料理の胡椒も、すでに真骨頂。日常目にするものとは違うブドウの房のような状態。色鮮やかなグリーンに目を奪われる。多少辛いですがそのまま食べても大丈夫、との店長のオススメで、一つ一つもぎ取って口にすると、胡椒という名の果物のような、フレッシュさと辛さと香りのマリアージュが舌の上で響き合う。シシトウ同様、中に突如として相当辛いものが混じっててますよと聞き、それに出会いたくてぷつりぷつりと口に運ぶ。辛いは辛いのだけど、どんどん口内が洗われていくような不思議な感覚。辛すぎてヒーハーとなり、もう食べられない息もできないといった状態とは異なるキレのよさ。まわりの食材をフレンドリーに包む優しさも同時に感じて胡椒が万人に愛される理由を思い知る。
過去に体験したことのなかった様々な胡椒との出会い。そして知れば知るほど「アパッペマヤジフ」のバリエーションの豊富さにワクワク感が止まらず、すっかり横山社長の次の一手に踊らされている自分がいた。
「ガトーコショラ」と題された最後のデザートまで、胡椒との奇想天外な旅は終わらないのである。
麻布十番での展開
東京の外食シーンを30年以上見てきたぼくにとって、横山社長が手がけた半歩先を行く飲食店の数々は、いくつも記憶にあるが、中でも一番なのは「ナポレオンフィッシュ」だろう。
中国料理というと、普通に広東や四川を想起するが、中国辺境料理と題し、シェフと辺境に出かけ実際に食しながら食材や調味料を調達。同じ中国発でも今まで体験したことのない料理が食べられる店だった。同時に優秀なシェフも育ったものの、シェフは独立。独立後のシェフの店にも足を運んだ。しかし個人的には「ナポレオンフィッシュ」時代の方が巧みで素晴らしかったと記憶する(サービススタッフの違いもあるかと思うが)。社長とシェフは、映画でいうプロデューサーとディレクターの関係だろうか。例えば、スティープン・スピルバーグとジョージ・ルーカスが組んだからこそ、インディ・ジョーンズのような映画史に残るシリーズが出来上がったのだ。
横山社長の次なる英断は、食通に広く支持された「ナポレオンフィッシユ」をあっさり閉店したこと。あくまでプロデューサーとディレクターとがコラポしてこそ他にないレストランが生まれるなら、中国辺境料理を手掛ける中でのディレクターが去ったなら、いくら存続を期待されてもそれの拡大再生産を潔しとしない。そして、麻布十番の旧ナポレオンフィッシュの後に生まれたのが「アパッペマヤジフ」というわけだ。
「沈みかけた船で、まだ沈んでいない方にみんなで逃げても、いずれは船は沈むんです。であればボートを漕ぎ出して新しく船出したほうが、スタッフにとっても私にもきっといいと信じているんです」と横山社長は語る。
「アパッペマヤジフ」も、店長以下、以前の店から変わらずに社長を支え新しいアイデアをひねり、各人のネットワークを駆使して次のスタッフを募った。そんな土台の上に立つ店なのである。
次なるワクワクの展開は
さて、横山社長が20年に渡って運営し、東京の飲食業界に独自の個性を間断なく投げかけてきた株式会社イイコ。レストランの店名だけではなく、社名も一度耳にしたら忘れない。イイコと記された名刺を渡されたなら、社長以下スタッフの皆さんが全て「いい子」じゃなければ看板に偽りありだよなと突っ込まれそうな愛らしさだ。ところがイイコというのは、Emotional eggs companyの頭文字、EECoなのだと伺い驚愕した。関西人なら「エエコやん」とさらに突っ込みたくなるのもまた、仕掛けだろうか。
本当に、人を驚かせ楽しませワクワクさせる天才だと痛み入る。横山社長の穏やかで柔和な笑顔の中に、どうしてそんなアイデアが詰まっていて、それを形にする実行力が備わっているのか。レストラン以上に謎で興味をそそられたのは言うまでもない。
将来はどうされるのか、との問いに対し、ハンターであるご主人と一緒に熱海でジビエスナックをやりたいと、またまた「えっ」と声をあげたくなる回答だ。狩猟と一口にいっても、商売になる獲物を常に仕留められるわけではなく、人の口にまで至らず処分されてしまうケースも多いという。
「それってよくないでしょ。できるだけ、処分されてしまう肉のロスを減らすことこそエコだし、そんな活動を地道にやっていきたいんです。やっぱり体の基本は肉ですよ。肉を大切にし、そして肉を食べたいんです」
横山社長のアイデアやパワーの源は、肉にあったわけか。しっかりと心にメモをしたのだった。
株式会社イイコ
http://www.e-e-co.com/
【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。