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第1回 株式会社ひらまつ 陣内孝也新社長のもと宿泊施設への展開も進む、 世界でも類を見ない東証一部上場の高級レストラングループ。

バブル期も、2017年の今も、東京の飲食を牽引する西麻布。

外苑西通りから一本渋谷側の細い道は、その昔、ビストロ通りとも地中海通りとも言われ西洋料理店ばかりが並んでいた。今では飲食店の形態も玉石混交としてその名を残してはいない。

その通りの中程、外苑西通りと日赤通りを結ぶ細い道との交差点地下に、レストランひらまつの原点「ひらまつ亭」があった。

トントントンと階段を下ると、そこは淡いグリーンで統一された品のいい空間。最初に飛び込んでくる小柄でキュートな平松慶子マダムの笑顔が脳裏に浮かぶ。当時の「ひらまつ亭」を代表する料理といえば、「フォアグラ・オ・シュー」(フォアグラのキャベツ包み)だった。

生涯を日本のフランス料理発展にささげた見田盛夫さんと現在の「レストランひらまつ」で食事をしたとき、ぼくはここの創業当初のスペシャリテ「フォアグラ・オ・シュー」が今でも日本を代表するフランス料理の一つだと語られたことが印象深い。

1988年以降、「ひらまつ亭」は「レストランひらまつ」となって、広尾に移転、地下1階地上3階建ての一軒家になった。

移転当初の「レストランひらまつ」一番の思い出料理は、「ウッフ・ア・ラ・コック・トリュフ」(トリュフ風味の半熟卵)であろうか。当時の値段で確か6,000円以上したはずだ。薄給ながら、どうしてもこの神々しい料理を一度食べてみたかった。

卵一つに凝縮された香りは、トリュフよりもさらにトリュフらしく、毎日食べている卵と融合するだけで、一生にもう二度とは味わえないような卵料理に昇華している。その変化と創造力に魅了された。

当時から、広尾の「レストランひらまつ」支配人だった株式会社ひらまつ、代表取締役社長陣内孝也さんとの出会いは、確かな記憶はないものの、おそらくこの頃からだろう。

「当初は料理人になりたくてひらまつ亭に入りましたが、現平松会長からサービスの面白さを体験させられ、そして自分自身の将来も知ることになりました」と振り返る。

ずっとぼくが思い描く、レストラン支配人として理想だった陣内さんは、蝶ネクタイのタキシード姿から凛々しいスーツとなっても、相手をとろけさせるような柔和な笑顔は変わらない。

ぼくは、個人的に陣内社長に聞いてみたいことがあった。「レストランひらまつ」では、毎年12月、クリスマスシーズンのお店の休日にソワニエ(有力顧客)を集めてガラディナーを開催し、平松シェフ以下、来年レストランが提供していこうという料理を、ひとまず先に披露しようという楽しい会であった。

集まった50名ほどの客は、それぞれ着用したコートをエントランスで待ち構えていた陣内支配人に渡す。そしてディナーが終わった後、お見送りをする陣内支配人は、何の迷いもなくすっと簡単にコートを選び客に渡す。そこには無粋な札の受け取りとか半券は全く存在しない。

初めてそれを体験して以来、ぼくは毎年毎年、料理と同じぐらい陣内支配人のスマートな対応が不思議で楽しみでしょうがなかった。来場するすべての客のコートをどのように整理しているのだろう。

「いや、すべての方のコートをちゃんと記憶していますよ。お顔を覚えているのと同じ要領です。まあ、万が一自分が対応できないときも考えて、裏で記録は残していますが」という。

ぼくは、これこそがサービスマンができる、最大の顧客満足の一つだと考える。つまり、サービスされる客が、まるでそこにマジックショーが展開しているような不思議でうれしい気持ちになるからだ。

そんな陣内支配人は、一昨年、株式会社ひらまつの創始者である平松宏之社長の特命を受け社長に就任。平松氏は会長職となった。平松会長は、入社当時から陣内さんの個性を知り抜いていて、料理人志望だったところをサービスに任命した。でもその時点から今に至るまで、自分の後継者は陣内さんだと決めていたのではないかと思う。

豊富な人材に溢れる、というか彼ら彼女らを育成する盤石の基盤こそが、株式会社ひらまつの特徴である。パリのレストランを成功させた後、ひらまつグループは、広尾にある旗艦店を中心に全国各地に出店するも、それらの店の料理長は、すべてひらまつグループからの生え抜きで構成している。というかそれを実現するために、考え抜かれた人材育成のポリシーが存在する。

レストランに限らず多くの企業でも、社内ではなく他に経営トップを求めるのは昨今普通のことだ。しかし、新店へ抜擢するのはすべて自らの店で修業を重ねた人材であるそうだ。改めて考えても、すばらしく相当に難業であろう。

平松会長は、フランスの偉大な料理人フェルナン・ポアンの言葉「若者よ、故郷へ帰れ。そしてその街の市場に行き、その街の人の為に料理を作れ。」を信奉し、自らの店で実践する。

昨今東京の料理人やレストラン経営者が、食材の生産者について多くを語り出した。ぼくは、もしそれを実践したいなら、自ら生産者のところ、故郷に戻ればいいし、コンセプトに掲げるとしても東京で経営するなら、声高に言うことではないと思っている。

ひらまつグループは、まさにポアンの言葉通り、全国主要都市にレストランを出店し、そこに出身者を帰すことで、料理人が、そしてレストランがやるべき本来の存在意義を結実させているのだ。

陣内社長は続ける。

「会長の平松が、レストランの次の段階ではホテル、そして最終には学校も視野に入れた会社にしていきたいとする路線を自分は踏襲し、昨年から新たにオープンした、オーベルジュの魅力を皆さんに知っていただきたいんです」

オーベルジュとは、宿泊施設付きのレストランのこと。日本人は温泉地等に行き、一泊二食という贅沢なリラクゼーションを知る国民である。そういったレストラン形態は、フランスの各地にもあり、オーベルジュと呼ばれ、多くのオーベルジュが、長年ミシュランの三ツ星を獲得している。

クルマでフランスの田舎に出かけ、おいしい料理を堪能しそこで一泊する。タイヤメーカーがタイヤ販促のために始めたミシュランガイドが目指す形もここにある。

一昨年後半、ひらまつグループから、賢島、熱海、箱根と立て続けに三軒のオーベルジュが誕生した。都内のフランス料理店で食事をするなら、帰りのことも考えてワインはグラスにしておくか、みたいな局面でも、その日はそのまま寝ればオッケーの環境下では、ボトル頼んで飲んじゃうかと発展、改めてフランス料理の醍醐味を享受できるのだ。

日本国民こそ一泊二食のスタイルを好む人種ゆえ、フランス料理主体のオーベルジュがあってもおかしくはないのだが、なかなか定着しない、というかこの魅力に気づかない人が多い。

ひらまつグループがスタートした、日本初といってもいい本格オーベルジュは、これからの日本人に新たなリラクゼーションとバケーションをもたらなすことになるだろうと確信している。ひらまつグループすべてのオーベルジュには温泉が供給されているのも、日本人としてはマストの魅力である。

少しワインの話が出たが、ひらまつグループのうれしい特徴の一つに、選りすぐりのワインを適正価格で提供とのメリットがある。どうしても高級フランス料理店のカテゴリでは、定価の二倍三倍といった値付けも普通のところ、驚くような価格帯のものも散見される。

「ワインは、平松会長自身や統括ソムリエが実際にフランスのワイナリーを回り、ダイレクトに買い付けてそのまま横浜の倉庫に直送、静かに眠っているんですよ。

有名シャトーのものではなくても、それらと隣り合わせた同じ土壌で育つブドウを実力のある人に醸されたワインも多く、本当においしいものを厳選しました。しかも、直輸入後そのまま同じ場所で保管してあるので、ワインにとってのデメリットである、あちこちに移動させるということもなく、最高の保存状態なんです」と聞いた。


料理がすぐれたものであればあるほど、そこに合わせるワインも素晴らしいものであってほしいと思うのが食べ手の希望だ。ただ、それに見合ったワインをチョイスすると、とんでもない高額になってしまうのは辛いところ。ひらまつグループの考え方と対応は、フランス料理とワインのマリアージュにも新たな道を開くことになるだろう。

カリスマと言われた平松会長から、すべてを見渡し包み込むようなお人柄を生かしたサービス出身の陣内社長へのバトンタッチ。料理やワインを楽しみながら、人材育成や独自経営の巧みさも肌で感じることのできる非日常空間。悦楽と休息と経験、すべてを織り成す時間は、まさに読者の皆さんにとってもっとも必要ではないだろうか。

株式会社ひらまつ

【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。番組への反響が大きく、2017年7月1日より再放送開始。

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