ビジネス交渉の戦略②~交渉準備のPDCAサイクル
本講座でご紹介している“交渉”は「複数の当事者の利害関係のズレや対立・衝突を乗り越えるための問題解決のプロセス」です。顧客とWin-Winとなり得るパートナーシップを目指す「攻めのビジネス」では、問題を解決し、課題を達成する交渉において、顧客や第三者と発生したトラブルの円満な解決を目指す「守りのビジネス」では、問題を解決する交渉において、交渉学は、交渉による問題解決の成功確率を上げるために有効な方法論です。
交渉の骨格となる能力は、意思決定力です。交渉により相手と合意することが正解でも不正解でもありません。交渉により実現したいと考える目的に対して、交渉相手と合意するのか、または、合意しないかの意思決定を行なうものです。
なぜ、この相手とこの条件で合意すると決めたのか、または、なぜ、この相手とはこの条件では合意しないと決めたのか、という意思決定を、利害関係者に明確に説明できる交渉を目指すことが重要です。
交渉力は、主に3つの能力から構成されています。1つ目は、交渉シナリオを設計するために必要な「設計力」です。2つ目は、交渉を実施するために必要な「コミュニケーション力」です。そして、最後が交渉の詰めを行なうために必要な「意思決定力」です。そして、「交渉は準備8割」と言われるほど、事前準備が重要です。
今回は、交渉学研究に基づき開発されたフレームワークによる「交渉シナリオ構築/評価シート」を用いて、交渉のPlan(計画)、Do(実行)、Check(評価)、Action(改善)のPDCAサイクルを通じて、交渉の準備を行なう方法論をご紹介します。
更に、このシートを用いて、過去の交渉事例を分析し、次の交渉に活かすためのナレッジマネジメントなどの応用方法も、合わせてご紹介します。
「交渉シナリオ構築/評価シート」は、次のようなシートです。
それでは、PDCAの順番で、交渉準備の方法論を説明します。
① PLAN(計画)
最初に、「テーマ」欄に、交渉や商談の対象テーマを記入します。次に、「状況」欄に、交渉に至った経緯や、自分の交渉相手の置かれた状況を記入してください。関係性を示す相関図や関連資料があれば、添付すると全体の状況がわかりやすくなります。
次に、「ミッション」欄には、この交渉で何を目指すのかを記入してください。ミッションは取引条件を記載するのではなく、何のためにこの相手と交渉し、合意することによって、最終的にどのような問題を解決したいと考えているかを記入してください。ミッションは交渉の軸となる重要事項です。
次に、「事前準備」欄に進みます。ZOPA(ゾーパ)は、Zone of Possible Agreementの略で、幅のある具体的な目標を意味します。ここでは、「Bargaining Zone」欄に「最高の目標(理想的な条件)」と「最低の目標(最低ラインの条件)」を記入してください。
その上で、自社の強みや相手の立場を考えて、ミッションを実現するために取り得る選択肢を考えて、「Option Zone」欄に記入してください。そして、「BATNA(バトナ)」欄を記入してください。バトナは、Best Alternative to a Negotiated Agreementの略で、不合意に備えた代替案を意味します。
バトナは、今回の交渉相手との間で、ミッションが実現できなかった場合、相手に依存しない代替案であり、バックアッププラン、プランBなど言われる考え方と同じです。バトナは、交渉学研究最大の発見と言われており、交渉の前に、バトナを準備することは、冷静で合理的な意思決定に繋がります。
② DO(実施)
ビジネス交渉では、複数の交渉者がチームで交渉する場合が多いと思います。その場合は
交渉チームでこの段階までの準備を一緒に行うか、少なくとも、Planの内容を共有した上
で、交渉に臨んでください。交渉中に記入する欄はありませんが、このシートを手元に置
いて、自分達の交渉の軸がぶれていないかを確認しながら交渉を進めます。
③ Check(評価)
交渉後に、「事後記入」欄を記入します。「交渉の内容(様子)」を簡潔に記載してくだ
さい。どのような協議事項について、どのように交渉が始まり、何が問題となり、どのよ
うに交渉が進行したかという内容です。議事録などを添付するとわかりやすくなります。
次に、「結果(状況)欄です。合意した場合は、その内容を記載してください。「自己評
価」欄には、交渉者の満足度について、自分(チームの場合は、チーム単位)の評価を記
載してください。そして、最後に、「感想/次回に向けて」欄に、交渉の感想や次回に向け
た課題、改善余地などを記入してください。
④ Action(改善)
評価のプロセスで抽出した課題について、解決策を検討し、次のアクションを取ります。
そして、交渉の決着が付くまで、内容をアップデイトしながら、活用してください。この
PDCAサイクルを交渉毎に回していくことで、ナレッジが蓄積し、交渉の成功確率を上げ
ることができます。
このシートは、次の3つの目的に活用できます。
① 交渉準備の共通フォーマット
複数のメンバーが参加して行なうチーム交渉は勿論、単独で交渉する場合も、交渉前に、上司などに、どのような方針と交渉シナリオで交渉するかを相談したり、報告する必要があります。このシートは、交渉の事前準備と情報共有の共通フォーマットとして活用できます。
② 交渉結果のレビューとナレッジの共有
このシートは、交渉終了後、交渉結果をレビューするための共通フォーマットとしても活用できます。更に、同じ相手との過去の類似した交渉ケースの事例を、このフォーマットに基づいてレビューすることにより、最新の交渉結果と進行中の案件を比較して、分析することができます。
また、過去事例のレビューを積み重ねることにより、交渉結果を共通のフォーマットで記録し、組織の共有ナレッジにすることも可能です。
③ 交渉力の育成トレーニング
実際の交渉では、事前に検討した交渉シナリオに基づき、交渉者が、何を、どの順番で、どのように話すかが、交渉の進行と結果に大きく影響します。特に、チームで交渉する場合には、交渉の目的と具体的な目標を共有し、共通の交渉シナリオを持ち、それぞれの交渉者が役割を果たす必要があります。
そのためには、交渉者が事前にシミュレーションとトレーニングをしておく方法が有効です。交渉力の育成トレーニングの方法については、次回、詳しくご紹介します。
「交渉シナリオ構築/評価シート」は、ビジネス交渉について、交渉の準備から、ナレッジマネジメントまで、多目的で使用できますので、ぜひ、ご活用ください。
交渉力の定義の詳細については、以下の記事でも紹介されていますので、合わせてご参照ください。
日本人向けにカスタマイズした実践的交渉学とは (BIZLAW)
http://www.bizlaw.jp/interview_kittoranomon_01_01/
<本事例のポイント>
- 交渉は準備8割と言われるほど、準備が重要。その準備には、交渉のPDCAサイクルに合わせて、交渉学研究に基づくフレームワークを用いて準備する方法が有効である。
- 「交渉シナリオ構築/評価シート」は、事前準備のための「交渉準備の共通フォーマッ
ト」としての用途に加え、「交渉結果のレビューとナレッジの共有」及び「交渉力の育成トレーニング」にも応用できる。
一色 正彦
<執筆担当>
全体監修、交渉学関連
<交渉学との関わり>
欧州で海外企業との技術提携交渉に苦労している時に、英国人より交渉戦略のアドバイスを受け、交渉学の存在を知る。その後、国内外のビジネス交渉に活用すると共に、東京大学(先端科学技術研究センター)と慶應義塾大学(グローバルセキュリティ研究所)の研究に参加し、その成果を用いて、交渉学の研究と学生・社会人に対する教育と人材育成を行なっている。
<アカデミック・バッグラウンド>
大阪外国語大学(現大阪大学)外国語学部卒、東京大学先端科学技術研究センター先端知財人材次世代指導者育成プログラム修了
<ビジネス・バックグラウンド>
パナソニック(株)海外事業部門(主任)、法務部門(課長)、教育事業部門(部長)を経て独立。大学で教育・研究を行なうと共に、企業へのアドバイス(提携、知財、交渉戦略、人材育成)とベンチャー企業の育成・支援を行なっている。金沢工業大学(K.I.T.)大学院客員教授(イノベーションマネジメント研究科)、東京大学大学院非常勤講師(工学系研究科)、慶應義塾大学大学院非常勤講師(ビジネススクール)、関西大学外部評価委員会委員(大学教育再生加速プログラム)、(株)LeapOne取締役(共同創設者)、合同会社IT教育研究所役員(共同創設者)
主な著書:「法務・知財パーソンのための契約交渉のセオリー」(共著、レクシスネキシス・ジャパン)、「ビジュアル解説交渉学入門」、「日経文庫 知財マネジメント入門」(共著、日本経済新聞出版社)、「MOTテキスト・シリーズ 知的財産と技術経営」(共著、丸善)、「新・特許戦略ハンドブック」(共著、商事法務)など。