歴史や価値とともに変化する「お値段」⑮ ── そばとラーメンのお値段

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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。

さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。
このコラムでは、ものの値段の変遷と、それが現在の貨幣価値ではどのくらいに当たるかを複数の文献にあたって推定・概算しています。ただし、物価は、社会の経済状況、給与水準など複数の要因によって大きく変動しますから、単純な比較はできにくく、アバウトな「値頃感」を推測するしかありません。その際に参考にされることが多いのが、「米」の値段です。

現在は、食生活の多様化がかつてないほど進み、大きく変化してしまいましたが、米は長く日本人の基本的な食物でしたから、米の値段はさまざまな物価の基本的な指標となることができたのです。そんな基本的な指標となるものはいくつかありますが、江戸時代以降、現在でも多くの人たちが好んで食べ、物価に大きく影響されにくいものとして、「そば」もそんな商品のひとつです。
今回は、外食としての「そば」のお値段の変遷を見てみましょう。

歴史や価値とともに変化する「お値段」⑩ ──日本語ワープロ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑪ ──外食のお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑫ ──鉛筆など文房具のお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑬ ── ランドセルのお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑭ ── ランドセルのお値段

江戸時代には、二八そばが流行


そばは縄文時代から栽培されてきたとされますが、現在のように麺の形にして食べるようになったのは、江戸時代初期になってから。これを「蕎麦切 そばきり」といいました。
ほどなく、現在でも歌舞伎の舞台などで見ることができる肩に荷をしょって売り歩く屋台のそば屋が流行。このころのかけそば一杯の値段は16文で、「二八(にはち)そば」と呼ばれていましたが、これは「2×8=16」のシャレであったともされます。現在の値段として考えると、おそらく数百円程度でしょう。職人が多かった江戸の街で、そばは安直なファストフードとして親しまれましたが、幕末のそば屋の値段を見ると、かけそば16文に対して天ぷらそばや卵とじはちょうど2倍のお値段。清酒一合は天ぷらそばより高い40文しました。明治時代初期には牛鍋が流行したのを受けて、牛肉を入れた「開化南蛮」というメニューも考案されました。

大正時代にはそば屋の定番メニュー・カツ丼が考案

明治から大正時代にかけては、東京・大阪以外でも都市化が進み、洋食屋、喫茶店やカフェーなどの外食産業が普及。そば屋も全国的にも多く営業されるようになり、明治37年のかけそばは一杯2銭という記録が残っています。ハガキが一枚1銭5厘の時代ですから、高くても200円程度の値頃感だったのではないかと考えられます。

大正時代には、現在ではそば屋の定番メニュー・カツ丼が考案されます。大正7年に早稲田の老舗三朝庵(残念ながらこのお店は閉店してしまいました)が、洋食のカツレツと親子丼を合体させて、カツ丼が考案されたと言われます。ちなみに三朝庵はカレーそばを初めて出したお店としても知られています。
昭和11年には初めて鉄道駅の構内(群馬・高崎駅)にそば屋が開店します。このときにはかけそば一杯10銭程度でした。

手軽な「ファストフード」だったそば

昭和16年に始まった太平洋戦争の時代は食糧難の時代でした。昭和15年には飲食店での米食販売が禁止となり、そば・うどんは代用食として公定価格が10銭と定められました。
戦後になってから自由販売ができるようになり、戦後のインフレとも相まって昭和28年にはかけそばは一杯20円を超えます。それでも現在の感覚で数百円程度だったのではないでしょうか。

現在でも、名店や高級店は別にして、かけそばだったら一杯500円程度、立ち食いそば屋だったら、300円程度。値頃感は安定しているといえるでしょう。このように見てくると、そばは安くて、早い、ちょっと小腹がすいたときに食べるような、手軽な「ファストフード」だったことがわかります。

明治末期に食べられ始めた、ラーメンのお値段

そば・うどんと並ぶ「国民食」ラーメン。
日本でラーメンが食べられ始めたのは、明治末期のこと。中国からやってきた料理人が東京などで中華料理屋を始めるようになってからと言われます。ラーメンは長崎で中国人が考案した「ちゃんぽん」が原型になっているともされ、札幌で生まれたという説もあります。安くてお腹がいっぱいになるので、すぐに広く食べられるようになりました。

当時は「支那そば」と呼ばれ、一杯7銭という記録が残っています。大正時代になると、東京ではラーメンをはじめとして、ワンタンやシューマイを出す中華料理屋が大流行しました。「夜鳴きそば」と言われた、屋台でラーメンを売ることも流行しました。
当初、ラーメンはそばうどんとは異なって、家庭で作られることはあまりなく、「外食」のシンボルでした。もっとも、戦後インスタントラーメンが食べられるようになると、事情は変わります。ちなみに昭和33年に発売された「チキンラーメン」の価格は、一袋35円。そば屋で食べるかけそばの値段とそう変わりませんでした。

ある歴史的事件で、一気に注目度が高まった「カップヌードル」


ちなみに、「チキンラーメン」を開発した日清食品には、もうひとつ世界的大ヒット商品の「カップヌードル」があります。この「カップヌードル」が誕生したのは1971年とされていますが、その人気を決定づけたある出来事とは、どんな出来事かご存じですか?

それは、1972年2月に起きた「あさま山荘事件」です。真冬の軽井沢町の気温は零下15度。極限状態ともいえる環境下、人質解放に向け、多くの機動隊員が現場に集結したものの、予想以上に硬直状態が続き、事件は難航します。10日におよぶ事件の模様は連日テレビで生中継され、日本国中の人がテレビ画面にくぎ付けになり、今も破られていない平均50.8%の視聴率(報道特別番組の視聴率日本記録/ビデオリサーチ調べ)を叩き出します。
そうした中、寒さに凍える機動隊員が食べていたのが、湯気が立ちのぼる「カップヌードル」だったのです。高視聴率下で映った短い映像は思わぬ広告効果を発揮し、一気に「カップヌードル」への注目度が高まり、売り上げが急増……。このエピソードは、つとに有名ですね。
当時、袋麺は25円ほどのお値段でしたが、「カップヌードル」は一袋100円。高価だったにもかかわらず爆発的に売れ、今日では“日本生まれの世界食”として成長。各国仕様のテイストを加味した「Cup O’Noodles」が世界の人々に愛されています。

── とにもかくにも麺好きな日本人……。やはり、その手軽さに加えて、品がないと言われてもやめられない「すする」楽しさが、日本人の胃袋を満たしてきたことは間違いないでしょう。
そんな昨今、ヨーロッパや米国では空前のラーメンブームが起きているようです。そうしたムーブメントから、一杯1000円以上のラーメンも飛ぶように売れているそうですが、ニューヨークでは一杯2000円もする高価なラーメンに行列ができているとのこと。
みなさんは「一杯2000円のラーメン価格」を、どう考えますか?

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫ 
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。

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