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かつて戦後の日本でも?預金封鎖の仕組み

camera_alt (写真=Lenka Horavova/Shutterstock.com)

過去、混沌とした終戦直後の日本経済を大きく揺るがせたインフレがあった。その事態を収束させるために発動された政府の預金封鎖は、国民を大混乱に陥らせた。

そして現在、厳しい日本の財政状況から、再び悪夢が訪れるかもしれないという声が、少数ではあるもの囁かれている。もし、その可能性が1%でもあるとしたら、われわれは「そのとき」の対策を考えておかないといけないだろう。

預金封鎖とは

預金封鎖とは金融機関にある国民の預貯金を一時的に封鎖し、引き出せないようにすることである。正しくは一日に引き出せる金額を制限し、金融機関にある預貯金の引き出しにブレーキをかけることだ。

預金封鎖は国民の財産を把握したうえで財産に対して税金をかけ、膨大な財政補てんをすることが目的だ。財政破綻から抜け出すための国の政策だが、市場に流通する通貨量を制限することでインフレを抑制する意図もある。

預金封鎖の仕組み

戦後の預金封鎖の目的は、旧円を新円に切り替えることだった。預金封鎖の発令後、一定の期間(移行期間)を経て旧円が使えなくなり、新円のみが使用可能となる。ならば、その期間中に旧円を全て新円に切り替えればよいのではないかと思う人がほとんどだろう。実は、ここにトリックが隠されている。

金融機関から一日に引き出せる金額が少なく設定されているので、おのずと引き出せる金額に限界が出てくる。加えて、旧円から新円への切り替え期間は長くないため、財産全額を引き出すことが実質的に間に合わない。

そして、移行期間の間に全ての財産が引き出せなかった場合、金融機関に残った旧円の財産は移行期間後の使用が認められていないため、そのまま価値を失うという仕組みなのだ。遠まわしに解釈すれば、国が国民の財産を奪ったことになるといえるかもしれない。

戦後の預金封鎖

日本経済の歴史には戦後の預金封鎖が深く刻まれている。

1946年2月、インフレ防止の金融緊急措置令として、預金の一般引き出しを禁ずる預金封鎖が発動された。内容は10円以上の旧円を3月2日以降無効とし、翌3日から新円のみ使用が許可されるというものだった。加えて、仕事で給料を得ている人は月500円まで新円で支払われ、残りは封鎖預金へ振り込まれるという条件も出された。

戦後の日本は食料や物資が非常に乏しかったため、猛烈なインフレに悩まされた。国の指針はインフレを抑制し、日本が抱える膨大な国債を整理することだった。ところが、膨大な軍事費支出の影響で、国の財政状況が極限まで落ち込んでしまっていたのだ。

終戦直後の1946年度には国債費が歳出予算の半分以上の78億円に達し、国の財政は大打撃をうけた。悪化した日本の財政を根本から修復するためには、国による抜本的な打開策が必要で、そのための強行策が預金封鎖だった。

1946年3月には「財産税」を一度限りで導入。財産所有額が10万円を超える国民に対し、25%から90%の課税が行われた。預金封鎖は、徴税に際して国民の財産を把握するために行われたという側面もある。

財政リスクは顕在化していないものの……

極度のインフレと巨額の債務に悩まされていたとはいえ、金融機関に預けるお金は国民一人ひとりが持つ所有財産で、債務残高を補てんするための道具ではないというのは、国民としては当たり前の心理だろう。

2016年度の政府債務残高はGDP比で約2.3倍と、戦後の預金封鎖と近い状況が見え隠れしている。日本国債の9割以上を日本人が保有しており、10年国債利回りが0%近辺で推移している現状を鑑みると、国の財政リスクは顕在化していないといえるが、今後の預金封鎖の可能性について議論が生じる下地はありそうだ。


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