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歴史や価値とともに変化する「お値段」⑫ ── 鉛筆とノートのお値段

【転載元】
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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。

今回は、鉛筆などの文房具がテーマ。以前紹介した日本語ワープロの回でも触れましたが、現在、多くの人は、パソコンのキーボードに「入力」するか、スマホやタブレットを指で触って文字を入力しているでしょう。筆や墨、そして鉛筆がまったく使われなくなったというわけではないにしろ、日本語を書き表す方法がここ百数十年で劇的に変化したのは事実です。
今回は、主に近代以降の鉛筆を中心とした文房具の歴史と値段の変遷を、大ざっぱに追ってみましょう。
参考:佐藤秀夫:『ノートや鉛筆が学校を変えた』(平凡社)

歴史や価値とともに変化する「お値段」① ── カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ── カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ── 初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④ ── 古書
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑤ ── 夏目漱石の「経済的価値」
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑥ ── ビールのお値段
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑦ ── 劇場入場料
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑧ ── 郵便料金
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑨ ── 宝くじ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑩ ──日本語ワープロ
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑪ ──外食のお値段

明治時代に輸入された鉛筆は高級品だった


  
鉛筆の原型が発明されたのは、16世紀末のヨーロッパ。
木の軸に穴を開けて、黒鉛の断片を差し込んで使うというもので、芯を鋭くしたいときに軸ごと削って使うようなものではありませんでした。日本に渡ったのは比較的早く、鉛筆が徳川家康に献上されたらしいこと(家康の使っていた硯箱の中に保存されていました)、そして伊達政宗が竹軸に黒鉛を挟んだ鉛筆を持っていたことなどから、江戸時代にもごく一部の人は鉛筆の存在を知っていたされています。
本格的に鉛筆が輸入されるようになったのは、明治7年のこと。この頃には、製造法も進歩し、現在の鉛筆と基本的には変わらないものになっていました。

当時の輸入鉛筆は高級品で、輸入品を扱う「唐物店(とうぶつてん)」で販売され、明治10年代では一本6~9厘しました。「厘」は「銭」の十分の一で、6~9厘は、現在の貨幣価値に換算すると、百数十円程度でしょうか。

大正時代に主に高級官僚や製図技師などが使う最高級の輸入鉛筆は一本25銭しました。現在の貨幣価値では3000円以上でしょう。まだまだ庶民の児童が使うようなものではなかったのです。
明治10年には国内で鉛筆の試作品が作られるようになり、上野で開かれた第一回内国勧業博覧会に出品されました。勧業博覧会は、明治新政府がさまざまな産業を新しく起こすためのコンテストでした。

最初の国産鉛筆はシャープペンシルだった?

本格的に国産品が作られるようになるのは明治20年のこと。これに成功したのは、真崎仁六(まさき・にろく)。後の三菱鉛筆の創業者です。

ただし真崎が当初作っていたのは、「繰り出し鉛筆(はさみ鉛筆)」と呼ばれるもので、ネジを回して芯を出す仕組みになっており、今のシャープペンシルに似たものでした。当時の価格は一本1厘。興味深いことに当時の広告によると、このとき、鉛筆の需要は教育用としてではなく、官庁の事務用などが見込まれていました。鉛筆が普及し始めたのは学校よりもむしろビジネスの現場が先だったのです。商品名も「局用鉛筆」でした。

この後、三菱鉛筆は現在と同じような削り鉛筆を開発し、逓信省(現在の日本郵便)に一括で採用されるなど、明治30年代には国内のトップメーカーになり、鉛筆が教育の現場など一般に広く使われるようになりました。
さらに時を経て、国産鉛筆は順調に成長し、
●昭和5年:1銭
●昭和20年:20銭
●昭和38年:10円 ……
上記のように、相対的な価格もどんどん下がっていきました(ただし昭和24年まで価格は統制されていました)。国外に輸出されるようにもなります。

昭和40年の高級材を使った新商品「ユニ」は50円でした。現在の鉛筆は用途別に200以上のアイテムが揃っていますが、通常のものは50円ほどのようです。冒頭に書いたとおり、筆記具のさまざまな変化で鉛筆はかつてほどの需要はなくなっていますが、入試でのマークシートへの記入は鉛筆が推奨されるなど、鉛筆が社会から消えてしまうことはないでしょう。

明治の小学生は「石盤」を使っていた

さて、筆記具とともにビジネスにも学習の現場にも欠かせないのは、ノートです。
江戸時代の寺子屋では、学習の基本はお習字でしたから、半紙をとじた「手習双書」を練習用のノートとして使っていました。商人は大福帳です。

毛筆ではなく鉛筆やペンでの筆記に向いているように加工され、横ケイが引かれた洋紙をとじた、いわゆる「大学ノート」も最初は輸入品でした。初めて日本で製造販売されたのは、明治17年のこと。ちなみにこの「大学ノート」という名称は、一説には帝大生ほどの優秀な学生でなければ使えないから、この名前がついたともいいますが、いつ誰によって名付けられたのかは不明です。

明治の時代、ノートも高級品だった

明治45年当時の価格は、大判のもので75銭。現在では700~800円という値段に相当するでしょうか。結構高かったのですね。
おもしろいことに、明治末期のこの時期にも用紙を差しかえることのできる、ルーズリーフ式のノートが発売されていました。ただし価格は通常のノート10倍以上したようです。これらは、ビジネスマンの手帳用としても売られていました。

初等教育の現場では昭和初期までは生徒は、小さな薄い石板をノート代わりに使っていました(「石盤」と呼ばれた)。黒板と同じく、何回も消して書くことができたので、反復学習に向いていたのです。これは明治初期では十数銭から20銭ほどで売られていたようです。
現在ではもっとも一般的な大学ノートでしたら、一冊数十円で売られています。ただし、用紙やデザインに凝ったもの一冊は1000円以上するものもあります。

── 現在ビジネスの世界ではもちろん、教育現場でも電子黒板や電子ノート(タブレット)などが使われ始めています。しかし考えてみると、鉛筆とノートですら普及してから百数十年の歴史しか持っていません。ビジネスに必須のノートパソコンですら20~30年ほどです。ビジネスツールも文房具も社会の変化に大きく影響されるのですね。

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫ 
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。

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