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歴史や価値とともに変化する「お値段」⑥ ──ビールのお値段

【転載元】
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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。

さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。これまで様々なお値段について見てきましたが、今回のテーマは「ビール」です。この季節のビールの味わいは格別ですが、若い人々を中心に「ビール離れ」が指摘されるとともに、「第3のビール」をはじめビールを取り巻く環境も多様化しつつあります。
日本人はどんなふうにビールとつきあってきたのか。またその時々、ビールはいくらくらいするものだったのか。キリンビール編『ビールと日本人』(河出文庫)を参考にして振り返ってみましょう。

歴史や価値とともに変化する「お値段」① ──カラーフィルム
歴史や価値とともに変化する「お値段」② ──カメラ
歴史や価値とともに変化する「お値段」③ ──初鰹
歴史や価値とともに変化する「お値段」④── 古書
歴史や価値とともに変化する「お値段」⑤ ──夏目漱石の「経済的価値」

日本ビール事始めは、幕末期の船上から

日本人がビールに初めて触れたのは、万延元(1860)年のこと。
万延元(1860)年は、日本に黒船が来航(1853年)し、大政奉還(1867年)を迎えるまでの中間点ともいえる幕末期ですが、この頃は西洋の政治制度や社会思想を学ぶため、欧米へ使節団に向けて幕府や一部の藩から使節団員が派遣されていた時期でもあり、その船上でアメリカに向かう使節団員がビールを飲んだのが「日本ビール事始め」とされています。

画像は伊豆・下田の観光船「黒船」

幕末から明治時代に生きた仙台藩藩士であり、筆まめでもあった遣米使節・玉蟲 左太夫(たまむし さだゆう)なる人が、下記のように日記に記しています。
「ビールという酒が一壺あった。飲んでみると苦いが、喉の乾きがおさまる」(大意)。
さらに、その後のビールの変遷をたどっていくと……。

明治中期には、大瓶1本が2000円以上!?

日本が開国すると同時に横浜などではビールが飲まれ始め、西洋料理屋や牛鍋屋ではビールも飲めるようになりました。明治20年代には国産ビールも発売され、東京の小売酒屋ではビールを置くところも増えるように。この頃のビールのお値段は下記のような具合になります。

●イギリスビール……大瓶30銭……小瓶17銭
●ドイツビール……大瓶24銭……小瓶15銭
●キリンビール(国産)……大瓶18銭……小瓶11銭

当時はそば一杯が1~2銭の頃。現在のお値段に換算すると、国産ビール大瓶1本が2000円以上という感覚。庶民にとっては高嶺の花ともいえる飲み物であったのでしょう。しかし、一杯5~10銭のコップ売りが始まると、ビールは次第に庶民の間に普及していきます。
そして、日本で初めてビヤホールができたのは明治32(1899年)年のこと。アメリカ行きの使節団員が船上でビールに初めて触れたのが1860年ですから、庶民にビールが広く認知されるまでに約40年の月日を要したことがわかります。

明治末期、ようやく広く飲まれだしたビール

明治末期になると冷蔵庫が使われ始め、富裕層の間ではビールを冷やす行為そのものが流行したようです。冷蔵庫にビールが入っている……、おそらくそれだけでかなり格好よかったのでしょう。もちろん庶民は、普段スイカなどを冷やしていた井戸を使ってビールを冷やしたものでした。

その後は次第に、カフェーや喫茶店で流行していたビールが、家庭でも飲まれ始めます。
明治中期に大瓶1本2000円以上の感覚だったものが、昭和初年には1本35銭程度。サラリーマンの課長クラスの給料が100円だった時代ですので、1本35銭程度を大ざっぱに換算すれば1本1000円から千数百円といったところでしょうか。
明治から昭和へ時代が移行する中でお値段はいく分下がっているようですが、それでも高価な飲み物であったことに変わりはないようです。

このあと、大都市ばかりではなく地方でもビールが広く飲まれるようになり、ビールは日本全体に定着していきます。お酒好きだったことで有名な小説家の内田百閒(ひゃっけん)は、太平洋戦争終戦後にビールが手に入りにくくなったことを嘆いて、昭和21年に下記のように日記に記しています。
「お正月の三日間お酒も麦酒もなかった。…この頃はほしいと思っても思ふ丈無駄」。
戦後の統制経済でお酒やビールはめったに配給されなかった一方、“闇ビール”なるものも存在。気になるそのお値段は1本100円だったようですが、果たしてどんなお味だったのでしょうか。

ビールの大衆化と税金

戦後の高度成長とともに、ビールはさらに広く普及します。
サラリーマンの初任給が1万5000円から2万円ほどの昭和30年代。三種の神器(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)付き団地暮らしが一種のステータスとされた高度成長期、白もの家電を揃えた団地では、家族のために働く企業戦士のお父さんが、風呂から上がった後に瓶ビールを傾ける……、そんな晩酌の光景があたり前になっていきます。

この当時のビールのお値段は、大瓶1本115円。高度成長の右肩上がりのグラフ線と重なるようにビール人気は“沸騰状態”になり、その需要は1956(昭和31)年から1964(昭和39)年にかけて年平均成長率20%以上の驚異的な伸びを示すように。こうした需要の高まりを受けて、ビール業界では品質とともに価格競争が激化。そんな中、1957(昭和32)年5月の朝日新聞紙上には次のような記事が掲載されます。
「晩酌にビールを……と奥さんが内助の心意気をみせようとなると、家計簿もやりくりもそれ相応の苦心がいる」と始まり、「節約してもビールを飲むだけで高い税金を払うことになる」

ビール人気の高まりとともに、政府や官僚から “財政の玉手箱”と呼ばれたビール税。現在に引き継がれる酒税法は終戦後(1953年)に制定されたものですが、いまだ“打ち出の小槌”状態が続く税率は、欧米と比較しても驚くほどの高水準。そんなビールの税率について大手新聞が庶民に対して注意喚起している点は、いろいろな意味で趣き深いものといえます。

なんとかならないものか、税率!

先に触れた通りビールの税率は欧米と比較しても高く、お酒類の中でも“打ち出の小槌”に位置づけられるビールの酒税は、350ミリリットルの缶ビール(小売価格220円)で現在77円。実に約4割が税金なのです。

一方、酒税の区分上、麦芽率25%以下の発泡酒の税金は47円、その他の発泡性醸造酒、発泡性リキュール(いわゆる第3のビール)の税金は28円と比較的安いので、小売価格も百数十円と安く設定されています。しかし、この酒税上の区分けも2026年をめどに一本化される予定です。

ビールはもちろん、国税・間接税・目的税の3つの税金が課されるガソリン、一度の食事代より遙かに高い高速料金を大渋滞の首都高速で払う摩訶不思議……、さらには先行き不透明なうえ、年々重くなる年金保険料、いつの間にか上がり、大きな負担になっている国民健康保険料……。

私たちは、せっせせっせと働いて稼いだ給料を重い税金や保険料に充てて、おのずと節約を強いられています。そんな日々を冷静に考えればこの国のあり方にやり場のない怒りがわき、頭から湯気が吹き出しそうですが、そんなときこそおいしいビール。
いゃあ、今日も本当に暑かったですね。さて今晩もビールをゴクッと飲んで、溜飲を下げることにしましょうか。

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。

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