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「心を固めるな」安部首相も坐禅に訪れる寺院住職が説く処世術 平井正修(ひらい しょうしゅう) 全生庵七世住職

日本の命運を握る賢慮儒者たちが坐禅を通うことで有名な東京・谷中の臨済宗・全生庵。2017年2月、初めてプレミアムフライデーが実施された日に、安倍晋三首相が作務衣姿で坐禅を組んだことで、広く知られるようになった。平井正修住職は、その全生庵の7代目だ。禅の教えから、ビジネスマンが不安やストレスとどう向き合うべきかまで平井住職に聞いてみた。
(聞き手:仙石実・公認会計士、税理士/校正:株式会社フロア)

山岡鉄舟が建立、幽霊画の所蔵でも有名

仙石)全生庵の歴史について、簡単に説明していただけますか?

平井 幕末から明治時代に活躍し、剣・禅・書の達人としても知られる山岡鉄舟(1836‐1888)が、1883年に建立しました。幕末から明治維新の時期にかけて亡くなった人々を、官軍、賊軍に分けずに、弔う場所を作りたいという思いからです。鉄舟自身も賊軍でしたから。

いわゆる官軍の人たちは、靖国神社の前身にあたる「招魂社」というところで、国として菩提を弔います。徳川についた人たちはそこには入れないわけです。しかし鉄舟にしてみれば、賊軍と呼ばれた人たちだって日本という国をどうしようかと考えて戦って散っていった人たちですから、彼らの菩提も弔っていくことが、鉄舟の願いだったのです。

仙石)平井さんが住職になったきっかけはなんですか?

平井 私は7代目です。父は早くに亡くなってしまい、そのときに跡を継ぐ人間がいなかったので私が住職になりました。7代目にして初めての世襲です。物心ついたときからお坊さんの格好をして寺を手伝っていましたから、周りは「跡を継ぐもの」と思っていたでしょう。私は1990年に大学を卒業しました。時代はバブルの絶頂期です。

手を挙げればどんな会社でも入れました。

ある方から「1年でもいいから修行に行け。お前達は時代がよくて戦争もなく苦労が足りていないが、1年修行に行けば少しぐらいの苦労は得られるだろう。それでも『お坊さんになるのはイヤだ』というのであれば、ほかの道に行くのもいいだろう。ただ、その1年で学んだことはどの道へ行こうとも必ず役に立つ」と言われました。

悩みましたけどそれに従うことにしました。

仙石)有名な幽霊の絵があるそうですね。

平井 幽霊画は円山応挙、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤晴雨、河鍋焼斎ら、著名な画家の筆による大変ユニークなものが50幅ほどあります。これらは同時代に落語界の大看板を務め、全生庵にお墓もある三遊亭円朝(1839‐1900)のコレクションでした。遺品管理をしていた方から寄贈されました。

仙石)ところで、山岡鉄舟先生とはどういう方だったのでしょうか?

平井 勝海舟、高橋泥舟とともに「幕末の三舟」と称されています。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と、西郷隆盛をして賞賛させたとされています。ありきたりな言葉ですが「すごい

」というか、そこまですべてを一途に突き詰めていくことができる人なのでしょう。

仙石)書籍を拝見すると、「馬鹿さ」という言葉が出てきます。

平井 結局、「馬鹿」というのは「正直」という意味です。なんに対してもごまかさないで真っ向から向き合うということです。

本当はもっとちゃんとやらなくてはならないことでも、人間は「このくらいでいいか」と、自分自身で限度を決めてしまうことがあります。仕事でも趣味でも、そういうところがありますが「そうじゃない、とにかく最後まで行くのだ」ということです。

幕末期は剣術が流行しました。道場がたくさんあって多くの人たちが稽古をしていました。ところが、明治になると廃刀令が出されて、当然ですが剣術の道場はどんどんつぶれていきます。

「達人」と呼ばれていた人たちが、見世物小屋にも出るようになりました。そんな時期に、鉄舟は剣術の道場を建てました。時代がどうあれ剣術は人を斬るのではなく、自分自身の心を律していくためのものだという境地に至ったからでしょう。

武士道と禅の関係

仙石)鉄舟先生の本当のすごさである「馬鹿さ」は、ある面で、武士道に通じていると思います。武士道の志と禅の心には、共通するものがあるのでしょうか。

平井 実は、武士道自体が「武士道」と呼ばれたことはありません。新渡戸稲造が外国に行ったときに、「日本人の道徳規範はなにか」と問われて、西洋ではキリスト教、宗教が規範なのに対し、日本では何かと考え、自分や親の生き方などを振り返って書いたものです。

日本人は、ほとんど宗教教育を受けていませんが、宗教的なことと無縁というわけではなく、むしろ宗教は生活の中に入り込んでいます。要するに武士道とは、日本古来の考え方であって、途中で入ってきた仏教や儒教の精神を取り入れながら、日本の風土と混ざってきたものなのです。

一方、禅は形になって現れるものではなく、物事の根底にあるものです。剣というのは、ざっくり言うと、人を斬るための術なので、どんな卑怯なことをしてもいいし、勝たなければ意味がありません。

しかし、一方で武士の多くは、「剣術とは人を斬るだけではない」という思いもありました。剣をどう使うかを決めるのは、その人の心です。その心のトレーニングとして禅があるのです。ですから、剣禅一如となるわけです。

お茶もお花もそうです。来年、ジャポニズムという、絵画、演劇、食からアニメ、映画に至るまでの日本文化を、パリから世界に向けて発信しようというイベントがあります。

私もそれに参加するのですが、改めて伝統的な日本文化の根底に何があるかを考えたとき、お茶も花も能も、すべて禅から出てきているのではないかと思いました。

私たちの頭の中に、「日本文化」として浮かぶものの根底には禅があるのではないかと思いました。禅は形のないものです。

しかし、剣に現れれば「剣道」となり、お茶に現れれば「茶道」になる。花に現れれば「華道」になるという具合に、「道」というものの根底にあるのです。お茶でもお花でも何でもそうですが、それを学ぶことによってその奥にある心を学ぶことになるのです。

心を鍛えるとは、固まった思い込みを砕くこと

仙石)禅というもので心をを鍛えていくためにはどうしたらいいでしょうか?

平井 心とは鍛えるようなものではないと思うのです。もともと人間は楽しければ笑うし、悲しければ泣くし、心は自由自在に変わります。

例えとして「心というのは水のようなものだ。器が四角なら四角になり、器が円ければ円くなる」と私たちは言います。心は水のようであればいいのです。われわれは「嬉しい」で固まって、「悲しい」で固まって、「苦しい」で固まって、そして、「自分」と言って固まります。

それが一番の問題です。「私ってこうだから、こんな人間だから、こういう性格だから」と自分で固めてしまう。この後ろに何が付くかというと「しょうがないじゃないか」という言葉です。「心を鍛える」と言いますが、そこは「鍛える」のではなく「固まっているものを砕く、溶かす」ということなのです。

仙石)現代社会では、経営者も、サラリーマンも、不安の中で生きている人が多いと思います。成功している経営者であっても、「いつも不安だ」と話す方がいます。私たちは不安とどのように向き合えばいいのでしょうか?

平井 どんな時代であれ、子供から大人まで。不安やストレスがないことはあり得ません。常にあるものですから、もう一緒に生きていくしかありません。受け入れられるならそれが一番いい。手をつないでいるぐらいが一番いいのです。

心配していることの多くは、まだ起きていないことです。だから、解決の仕様がありません。それでも不安というならそうならないよう考えればいい。

私は今、ある大学の危機管理学部で客員教授をしています。危機管理という学問などはまさにそうで、大地震が起きたらとか、災害が起きたらとか、いろいろなマニュアルを作ったり、訓練をしたりするのです。

それは起きないかもしれませんが、起きるときは間違いなく急に起きるのです。何月何日に地震が起きるなんて誰も教えてくれません。備えておくことはもちろん大事ですが、後はどこかで「しようがない」と思っておくことも大事なのではないでしょうか。

安部首相も坐禅で再出発

仙石)中曽根元首相や安部首相が坐禅を組みに来ています。トップリーダーたちがここに来られるのには何か理由があるのでしょうか。

平井 中曽根先生は月曜から土曜まで仕事して、土曜の夜から日曜までおいでになっていました。分刻みのスケジュールの中でいろんなことがあって、頭の中がいろいろといっぱいになっているのですね。坐禅を組むことで頭の中を空っぽにしているようです。

安部首相の場合は、第一次政権のときあのような辞め方をされて体調も崩されていました。生まれて初めて味わった挫折があまりに大きなものだった。これからどうしたらいいのだろうという思いもあったでしょう。

仙石)先日私も参加させていただきましたが、頭を空っぽにすることは難しいですね。

平井 「無心」という言葉があります。しかし、それは決して「何も考えない」ということではありません。「無心」とは、今やっていることに対して体と心がきちんとひとつになるという状態のことを指しています。ひとつの心と書いて「一心」と言ってもいいでしょう。

坐っていても常に頭の中にはいろいろなことが浮かんできます。「浮かんできたら出す」ということでいいのです。

仙石)最後になりましたが経営者やサラリーマンの方々に住職からのメッセージをお願いします。

平井 仕事もそうですし私生活もそうですが、朝から晩まで人間がやることには最初に心がある。ふと思ったり、ふと感じたりしたところから人間は行動を起こします。だから私たちはそこを調える。人間の心は一体どういうもので、自分自身の心はどういうものなのかと。

人間はうまくいかないと外側だけを見てしまいがちですが、もっともっと自分自身の心を自分で見つめる時間を持ってほしいと思います。それは坐禅という方法でなくても構わないのです。ぜひ、自分を見つめる時間を少しでも持っていただけたらいいなと思います。

【プロフィール】
平井正修(ひらい しょうしゅう) 全生庵七世住職
1967年、東京都生まれ。学習院大学法学部を卒業後、静岡県の龍沢寺専門道場にて修行し、2002年から現職。著書に『花のように、生きる。美しく咲き、香り、実るための禅の教え』『心がみるみる晴れる坐禅のすすめ』などがある。各種官庁や企業の研修会では、武士道の志と禅の心をやさしく解説し、坐禅体験も行っている。

全生庵(ぜんしょうあん)
住所:東京都台東区谷中5-4-7
宗派:臨済宗国泰寺派の寺院。山号は普門山。
本尊:葵正観世音菩薩(江戸城の守り本尊)

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