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「品質第一主義で守る日本の海苔文化」7代目が受け継ぐ先代のメンタリティー 山本海苔店専務取締役 山本貴大

ご飯や弁当のおにぎり、蕎麦、寿司、ラーメンに至るまで、日本人の食生活と、「切っても切り離せない関係」にある海苔。お中元お歳暮など贈り物の主役としても親しまれ、最近では海外でも人気を博している。そんな海苔を扱う店として江戸末期に創業、168年の歴史の中で常に業界をリードしてきたのが日本橋の「山本海苔店」だ。代々受け継いできた同社の強みや、事業を続けていくうえで大切にしていることなどについて、老舗の7代目として生まれ、現在は営業本部長を務める同社専務取締役の山本貴大さんに話を聞いた。
(聞き手:早川周作・経営コンサルタント/構成:株式会社フロア)

品質のよい商品を、お客様の懐にあった値段で

早川)老舗6代目を父親に持つ山本さんは、いずれ家業を継ぐことが、運命づけられている立場だと思います。大学卒業してから現在に至るまでの経緯について教えてください。

山本 慶應大学を卒業して4年弱、大手都市銀行に勤務しました。山本海苔店に入社したのは2008年10月です。3カ月後には上海に赴任しておむすび店を開業、2年後には、シンガポールでの新規店舗立ち上げを経験しました。その後、営業部長に就任し、現在は専務取締役です。

入社して驚いたことがいろいろありました。銀行にいた頃は、「利益が出るのは良いことだ」という感覚でしたので、入社1年目に「今年の海苔は、仕入れ単価が去年よりも安くなりましたね。良かったですね」というと、確かに経理部長は「そうですね」と答えてくれたのですが、仕入部長は「海苔業界のリーディングカンパニーの山本海苔が、こんな安く買ってはいけません。業界に未来がなくなります」とたしなめられたのです。それが最も衝撃を受けた瞬間でした。

もう一つ驚いたのが、当社には、どこの会社でもあるような「経営理念」がなかったことでした。それどころか、中期計画もあるようなないような状態でした。そこで、社員全員でディスカッションして、半ば強引に作ったのが、現在の「おいしい海苔を、より多くのお客様に」というものです。その思いは今も変わりませんが、いずれはコンサルタントを入れ、社員アンケート調査なども行い、さらに良いものを作りたいとも考えています。

早川)明確な経営理念がなかったにもかかわらず、なぜこれだけの長寿企業になったのでしょうか?

山本 まず、海苔という商品についての説明から始めさせてください。そもそも海苔とは、製販分離という業態が徹底された商品なのです。海苔を作る人が売ってはいけないし、販売する人も作ってはいけない。生産者の仕事は、海苔を取り、ミンチして、それを漉いて紙みたいにするところまで。私たちはその状態で買った海苔を焼いて、味をつけて決められたサイズに裁断するというのが業界のルールなのです。

つまり海苔は加工度があまり高くない商品ですので、「さすが山本さんの海苔はおいしいね」と言っていただけるのは、単純に言えば原価が高い良いものを販売しているということになるのです。品質が良い商品はコストが高く、それをお客様の「懐具合」にあった値段で販売しますので、当然ですが、私たちの儲けは少なくなります。この「あまり儲けを出さないようにやってきた」ということが、長く続いた秘訣ではないでしょうか。

先代から受け継いだコアコンピタンス

早川)自社の強みや特徴についてはどうお考えですか?

山本 当社の歴史的背景からお話させてください。1849年に初代山本德治郎が日本橋室町1丁目に創業した当社は、2代目がかなりイノベーティブな経営者でした。そのひとつは「味付け海苔」を開発したことです。明治天皇の京都還幸に際し、御所への土産のご下命を賜ったことを受けて、苦心して作り上げました。ご存知かもしれませんが、関東地方は焼海苔文化圏です。コンビニで販売されているおにぎりも、焼海苔で巻かれています。しかし、関西地方で海苔と言うと、「味付け海苔」です。その理由は、実は2代目が開発した「味付け海苔」が京都から関西へ広まったからと言われています。それを機に、当社は「宮内庁御用達」(現在は廃止)となりました。

もうひとつは、現代で言うマーケティングの手法を取り入れたことです。顧客ニーズに応じ、海苔を8種類に分けて販売しました。細かく言いますと、①食(自家用)②棚(進物用)③焼(焼海苔の原料用)④味(味付け海苔の原料用)⑤寿司(寿司屋の業務用)⑥蕎麦(蕎麦屋の業務用)⑦裏(卸用)⑧大和(佃煮用)の8種類です。名前がないところに名前をつけるというのは、洗練されたマーケティングの手法ですよね。こうした分類があると、蕎麦屋さんは「山本海苔に行けば、蕎麦用の海苔があるらしい」となります。「これは便利だ」ということになり、当社の名前は一気に知られることとなりました。

2代目が残した言葉に「お客様が最も必要とされる商品を最も廉価で販売せよ」というものがあります。3代目になると、さらに厳格化して「山本の名のついた海苔には一枚たりとも不良品があってはならない」となりました。このメンタリティーこそ、当社のコアコンピタンス(※他社を圧倒的に上回るレベルの能力、競合他社に真似できない核となる能力のこと)なのです。

早川)なるほど、海苔を8種類に分類したことは、当時としてはかなり画期的なことですね。ところで、海苔の品質は、どのように決まるのですか?

山本 海苔とは、夏の間は貝の中にいる胞子が、冬になると外に出て、網について芽を出したところを収穫したものなのです。海水温が23度を切ると、「冬が来た」と感じた海苔の胞子が外に出て、網に付着し、芽が伸びます。その芽が短いほど、味も香りも良いのです。最初に摘み取ったものは「一番摘み」と言います。海苔生産者さんたちにとっては、10センチまで伸びたものを摘んでも、20センチの長さのものを切っても、同じ海苔ですが、それでは味と香りがかなり違います。また一度摘み取った後でも、芽は伸びてきます。それを刈り取ったものを「二番摘み」と言いますが、やはり、味は一番摘みのほうが断然に良いのです。

芽が短い段階で摘み取ると、当然摘める海苔の量は少なくなります。私たちが海苔生産者さんに、芽が短い段階で若摘み・早摘みをしてもらうためには、「10センチで摘んでいただけたら、20センチの2倍以上の価格で買いますよ」と言ってあげないと、芽を伸ばしてしまい、おいしい海苔が日本や世界から消えてしまうのではないかと思います。

早川)つまり、山本海苔店の進物用は、その若い「一番摘み」しか使ってないということですか?

山本 ほとんどが一番摘みです。ただし、滅多にありませんが、「二番摘み」でも、おいしいものがあるので、それを「仕分け直し」することもあります。また、「一番摘み」を進物用として仕入れても、おいしくない時があります。その場合は、高い値段で仕入れた「一番摘み」であっても、家庭用や業務用に回します。それで損をすることになったとしても、そうします。それが、2代目、3代目が残した当社の姿勢です。

早川)仕入れ値の高い「一番摘み」でも、味が悪ければ、売値の安い商品に回すということですね。ベンチャーのみならず、たいていの経営者は、そういうことがあったとしても、普通に売ろうとするのではないでしょうか。しかし、そういう企業は消えて、こだわるところしか残れないということの証左なのかもしれませんね。

試練の直系3代目、熱い思いで海苔文化を守る

早川)私は老舗企業に関する研究をしています。山本専務は、先代とご自身の関係性について考えることはありますか?

山本 しばしば商売の世界では、「直系が3代続いたら潰れる」と言われます。そして「婿の代に業績を伸ばす」とも言われています。実は当社の2、3、4代目は婿なのです。2代目は味付け海苔を開発し、8種類の仕分けを行って、当社の商品を宮内庁御用達にしました。3代目は19cm×21cmという海苔の統一規格を作りました。そして、4代目は築地に初めて支店を出したのです。このように当社も、婿の代に、かなりエポックメーキングなことを実現しています。私の祖父と父は、5代目6代目で直系になりますが、5代目から数えると、私は3代目に当たります。先ほどご紹介した格言に照らし合わせると、「けっこうヤバい」と思っています(笑)。

ただし、直系の代でも5代目は、百貨店に進出し、業績を伸ばしました。1965年に本社新社屋が竣工しましたが、日本初と言われる「ドライブスルー」を駐車場に設置しています。午後8時まで利用ができて、93年に山本ビル新館の建設が始まるまで、この「ドライブスルー」のサービスは続きました。開設当時は現在と違って、百貨店にも定休日があり、午後6時には閉店していましたから、夜の会合の手土産や雨の日の買い物で重宝されたそうです。

6代目は、「海苔とはおにぎりや寿司を巻くもの」という従来の扱いを、「どうしたら海苔だけでも食べていただけるのか」を考えて、商品を開発しました。それが、カンロ株式会社さんとのコラボレーションで誕生した「海苔と紀州梅のはさみ焼」です。2002年に発売されて、大ヒットになりました。これをきっかけに、スーパーやコンビニにも販路が広がりました。09年には、株式会社サンリオさんとのコラボレーションで「はろうきてぃのりチップス」を発売しました。

海苔は栄養価が高く、もうまみも豊富なので、お酒のおつまみやお茶請けになります。海外展開では、現在、シンガポールなどの東南アジアを攻めていますが、海苔をご飯に巻いて食べる文化がない海外では、ポテトチップスよりもカロリーが少ないこともあり、スナックとして海苔の人気が高まっています。

7代目予定の私がやるべきことは、「イノベーション」というほどでもないかもしれません。私の身近にある老舗の食品会社などを見ていると、もともと問屋をしていた会社は、新規事業として小売りを始め、小売りの後に外食を始めるケースが多い。当社はすでに上海でおにぎり屋を運営していますが、サンドイッチの「サブウェイ」のようなスタイルでやってみたいと考えています。自分でパンや具材、味つけを選び、サンドイッチを作るように、海苔と酢飯、具材を選んで巻いて出す。こういうことをやってみたいです。日本橋の再開発が、東京五輪の後に始まります。その時期が良いタイミングになるのではないかと思っています。

早川)おいしい海苔をつくり、海苔文化を守ることと、山本海苔店を守ることでは、どちらが大切ですか?

山本 もちろん「おいしい海苔文化を守る」ことですね。「おいしい海苔文化の中心にいたい、その関係者でありたい」という思いは、正直言って、家業を守ることよりも強いです。「おいしい海苔文化を守ることは本当に大切だ」と思っています。自分たちの利益を少なくしてでも、お客様に良い商品を提供する。そうすることで、この先もずっと生き残り、家業が続いていく。「オレ、ちょっとカッコいいかも・・・」自分で今、そう思っちゃいました(笑)。

【プロフィール】
山本貴大(株式会社 山本海苔店 専務取締役営業本部長)
1983年生まれ。2005年に慶應義塾大学法学部卒業後、大手銀行に入行し、法人営業などを経験。2008年に山本海苔店入社。仕入部で海苔全般の勉強を行い、山本海苔店100%子会社丸梅商貿(上海)に勤務、おむすび屋「Omusubi Maruume」の立ち上げにもかかわる。7代目を引き継ぐ立場として、山本海苔店の営業全般を担当するとともに海苔文化の普及活動にも尽力している。

【会社概要】
社名:株式会社 山本海苔店
創業:1849年(嘉永2年)
事業内容:乾海苔及び乾海苔を原料とした加工食品の販売
本社所在地:〒103-0022東京都中央区日本橋室町1丁目6番3号  TEL03-3241-0261
資本金:4,800万円
代表者:取締役社長 山本 德治郎
HP: http://www.yamamoto-noriten.co.jp/


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