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歴史や価値とともに変化する「お値段」㉑──電話料金の変遷

【転載元】
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ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。いつものように、さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。

電気やガス、水道のような私たちが生活を維持していくうえで欠かせないインフラと同じく、人と人をつなぐ電話も社会の最も重要なインフラのひとつです。
インターネット通信がこれだけ普及しても、人と人がじかに会話することや、電話の重要性は変わりません。そこには人が発する「声」独特の信頼性と魅力が潜んでいるから……といえることもできるでしょう。今回は、電話料金の変遷をたどっていきます。

開通当初の月の料金は10万円!

わが国における最初の電話は、明治23(1890)年に東京と横浜間で開通しました。
当時の加入数は東京で155件、横浜で42件でした。その際の料金体系は、年額の基本料金は40円、東京・横浜それぞれの市内通話はかけ放題というもの。かけそば一杯=1銭の時代ですから、今の金銭感覚に合わせると、月の料金は10万円に近かったのではないでしょうか。
ちなみに市外通話は度数制で、5分間15銭に設定されていて、初期の電話架設料は無料とされていました。

その後、警察や軍事上の必要もあって、電話回線網は急速に整備され、明治30年代から加入登録制度(電話加入権と呼ばれる制度)が始まり、明治42(1909)年には加入者は10万件を超えています。明治時代末期は銀行員の初任給が40円の時代でしたが、電話料金の基本料金は月額66円。1カ月分の基本料金が月の給与を超える額だったことがわかります。

当初、一戸建てが建つほどの架設料だった

ただし、電話の普及とともに月額料金は数万円ほどに下がり、大正14(1925)年の年間基本使用料は45円に。しかしながら、この当時の架設料(工事負担金)は非常に高く、その額が1520円と記録されたものもあります。一見、1520円の文字だけを見ると「安い」と思いがちですが、実はこの値段は、当時の東京で一戸建ての住宅が建つほどのものだったのです。

このあと、技術の進歩もあって料金は引き下げられ、電話は都市部を中心に急速に普及していきます。そして時代は昭和に以降し、昭和19(1944)年には、加入者は100万件を超える規模に発展。ところが、第二次世界大戦による空襲で通信施設は打撃を受け、終戦時には加入件数は激減。
昭和20(1945)年の電話料金は年間基本使用料が60円、市内通話は10銭で無制限でした。

家庭に広く普及していった固定電話

そして、昭和28(1953)年から電信電話債権(加入者債権)が発行され始めますが、これは加入者権とは異なり、戦後復興の資金調達のために発行されたもの。また、今も加入者債権を所有している世帯があることから、2027年まで元利金を受け取れることになっていますが、加入者債権の発行はインフラ整備が完了したとして、昭和58(1983)年に制度は廃止されています。

50代以上の方であればご記憶があると思いますが、古くは家庭に固定電話を新たに設置する際、数万円におよぶ初期費用が必要でした。時代は変わり、今ではスマホ1台で事足りる便利さゆえ、若者の一人暮らしでは固定電話を敷設しない人も増えています。そのため、休止回線は増加の一途をたどっており、電話加入権の市場価値は下落しています。

そして、経済大国への道を突き進む昭和43(1968)年には、加入者数は1100万件を超えます。この頃は、基本の月額料金が700円、市外通話は東京・大阪間で4秒7円とまだまだ高価で、固定電話を新規に設置するための債権を含めた架設料は、十数万円から20万円ほどしました。

こうした時代がしばらく続いたのち、昭和60(1985)年の電電公社の民営化によってNTTが発足。料金体系も大きく様変わりすることになります。

固定電話から高級肩掛け電話、そして小型の携帯電話へ

NTTが初めて民生用の携帯電話を発売したのは、1985年のこと。それは、「ショルダーホン」と呼ばれる約3キロにおよぶ重さの肩掛けタイプの携帯型電話機でした。バブルを象徴するアイテムとして、お笑い芸人がネタのアイテムとしても使用している「ショルダーホン」ですが、当時はお金持ちしか持てない高級品で、保証金は17万円、月額料金は2万3000円、通話料は1分100円もかかりました。

ただしこのあと、回線がデジタル化するとともにバッテリー性能の向上もあいまって、携帯電話は急速に小型化・普及し、料金体系も大きく変わっていきます。インターネットに接続できるようになったのは平成11(1999)年のことですが、通信と電話がスマートフォンで融合したのは、その数年後のこと。通信の自由化に伴って、さまざまな業者が通信事業に参入した結果、料金体系もバラバラだった点が大きな特徴でしたが、誰もがこぞって自分だけの「My Phone」をもつよう変化していきます。

日本のスマホ料金は、国際的に群を抜いた高水準

現在では、長時間ゲームを楽しむことのないユーザーであれば、月の携帯料金は、数千円から1万円という方も多いことでしょう。音声通話も一定時間まで無料である場合や、かけ放題プランなどを利用している人も多いようですが、現在の基本料金プランは、最低でも月額数千円単位に設定されていることが多いため、パケット通信の少ない利用者が、よく理解しないままムダな料金を支払うことになっている問題も指摘されています。

さらに、これまでは各社ともユーザーの囲い込みを図るため、いわゆる途中解約した場合の違約金である「2年縛り」と呼ばれる2年定期契約をはじめ、複雑怪奇ともいえるプランや割引プランなどを用意していましたが、携帯電話の契約時に店員に店頭で説明されたにもかかわらず、まったく理解しないまま使用している人も、実のところ多いようです。逆に、専門用語とたくさんの数字が入り乱れる料金体系を理解することのほうが難しいといえるのが、正直なところかもしれません。

ただし、料金プランや契約に関する総務省の要請により、携帯キャリアの過度な顧客囲い込みを抑制する方針が示され、大手キャリアでは2019年秋から「2年縛り」を設けない新プランを作ることになりました。しかしそれでも尚、複雑さは相変わらずのようですが、特筆すべきはグラフで示した通り、他国の主要都市と比較して、日本の携帯通信量が長らく群を抜いた高水準で推移してきている点でしょう。

さて、話をもとに戻しましょう。

携帯電話の急速な普及に伴い、固定電話の加入者数は激減しています。2018年度末、携帯電話の契約数は1億7307件に達していますが、固定電話の契約数は1850万件。これは平成9(1997)年にピークだった契約数の約3割になります(これにはひかり電話などのIP通信網は含まれていません)。そして2024年から、NTTは固定電話網も全面的にIP通信網に移行する計画を打ち出しています。

──いわゆる「格安スマホ」やLINEなどの新しいサービスも登場し、今後も通信のかたちは大きく変わっていくことと考えられます。ある意味、ものやサービスの価格は技術革新との競争ですが、その一方で通信業者は利益を確保しようとします。
今後とも、この分野で安定的に価格が大幅に下がるにはまだまだ時間がかかりそうですが、世界と比較して圧倒的に高いスマホ料金。この事実を知ってか知らずか、毎月請求された通りに支払い、異を唱えることがない国民性は日本ならでは、といえるかもしれませんね。

≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫ 
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。

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