歴史や価値とともに変化する「お値段」⑲ ── 電気冷蔵庫のお値段
ものやサービスの値段は時代によって変わるものです。「高い」「安い」の基準になっている貨幣の価値も時代によって大きく変わります。
さまざまな分野のものやサービスの「お値段」を比較してみましょう。
朝晩はしのぎやすくなってきたものの、日中はまだまだ蒸し暑さが続きます。生鮮食料品を保管するにも、スイカやビールを冷やすにも、冷蔵庫が欠かせません。
昔はスイカやビールは井戸に沈めて冷やしていたといいますが、いまでは四季を通じて電気冷蔵庫なしの生活は考えられないでしょう。
今回は前回の洗濯機に続き、同じ「白物家電」と呼ばれる電気冷蔵庫のお値段の変遷を見てみましょう。
電気冷蔵庫──昭和5年時の値段は200万円以上!
食品の冷蔵保存は古くから行われており、冬の間に池に張った氷などを切り出しておいて、洞窟などの冷暗所(氷室/ひむろ)に保管し、それを夏に使う方法がありました。
この方法は日本最古の正史『日本書紀』にも記録が残っています。長らく宮廷や将軍家などしか使えないものでしたが、江戸時代にはある程度普及したようで、氷で冷やした水を売る商売もありました。
一方、19世紀のアメリカで、木製の箱に氷を入れた「冷蔵庫(冷蔵箱)」が発明されました。
その後、化学的に冷却する方法が開発され、1910年にはアメリカで電気冷蔵庫が商品化。大正時代からアメリカの製品が日本にも輸入されていたようですが、国産の電気冷蔵庫の発売は1930(昭和5)年のことで、お値段は720円でした。
いつものようにかけそば一杯のお値段を基準にして720円を計算すると、現在の金額では200万円以上したようです。
もっともこの金額は、当時家が1軒建つといわれていたほどの金額です。そのため、上流階級または高級レストランでなければ購入できるような代物ではありませんでしたが、昭和12(1937)年には全国で1万2000台まで普及したという数字が残っています。しかし、戦時体制となったことで、冷蔵庫の生産は中止されます。
戦後やや値段は下がったものの、それでも50万円以上に
戦後、冷蔵庫の生産は再開され、市販化されるようになるのは昭和30年代に入ってからのこと。昭和35(1960)年に発売された85リットルの電気冷蔵庫のお値段は6万2000円。大卒の初任給の平均が1万6115円の時代ですから、現在の感覚としては50万円以上したということになるでしょうか。
ちなみに、まだ日本では木製の「冷蔵箱」が使われていて、昭和28(1953)年のヒノキ製の冷蔵箱のお値段は8500円。これでも10万円以上の感覚であったと思われます。昭和30年代まではまだ上部に氷を置く木製冷蔵箱のほうが主流でした。
電気冷蔵庫が普及し始めるのは昭和30年代の終わり頃で、昭和39(1964)年に一般家庭への普及率が50%を超えることになります。
昭和30年代の終わりといえば、昭和39(1964)年にオリンピックが開催され、庶民の憧れだったテレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫は家庭の「三種の神器」と呼ばれた時代。
ときを同じく、日本の大動脈・東名高速、夢の超特急・新幹線が開業。時代は、高度経済成長まっただ中にありました。
同時に、全国に急速に普及していくこの当時から、冷凍室つきの冷蔵庫が開発されるなど技術革新が進み、新しい機能が加わり、大型化し始めます。
1964年の東京五輪以降、機能も容量も大きく進化
では、1964年の東京五輪以降における電気冷蔵庫の変化をざっと追ってみましょう。徐々にお値段は高くなっていきますが、同時に給与水準も大きく上がっていきます。
【昭和40(1965)年】 5万7800円/容量が大きくなり始める 99リットル
【昭和44(1969)年】 6万3200円/冷凍室を分離した2ドアタイプが登場
【昭和45(1970)年】 6万3500円/一般家庭への普及率が90%を超える
【昭和53(1978)年】 13万9800円/容量200リットル/野菜専用室が加わった3ドア登場
【昭和57(1982)年】 20万1000円容量262リットル/消費電力は10年前の4分の1に
【平成元(1989)年】 28万円/容量400リットル
現在では、4人家庭の標準的な3ドア/400リットルのタイプが十数万円程度でしょうか。500リットル超えと少し容量が大きくなると20数万円程度するようです。ただ、100リットル規模の一人暮らし用の小型冷蔵庫であれば、数万円からあるようです。
お米が主食の日本人の食文化を支えた電気炊飯器
さて、冷蔵・冷凍、そして流通技術の進歩は、日本人の食生活を大きく変えました。季節や地域にかかわらず、一年を通じてさまざまな食材が容易に手に入るようになりました。
ただ、そのような大きな変化の中でも、お米はまだ比較的多くの日本人が食べている食品ではないでしょうか。そんなお米の食文化を支えてきたものが自動炊飯器です。
大正10(1921)年にはまだ自動ではありませんでしたが、かまどの中に電熱を組み込んだ炊飯電熱器が発売されています。2升炊けるタイプは60円でした。かけそば一杯を基準に換算すると、おそらく2万円程度でしょう。
寝ている間に飯を炊こうなんて、とんでもない?
現在の炊飯器につながる自動炊飯器の登場は、昭和30(1955)年のこと。タイマー機能もついていて、好きな時間にご飯が炊けました。6合炊きで当時のお値段は3200円。大卒初任給の3分1ほどです。
発売した東芝の社内には、「寝ている間に飯を炊こうなんて、そんな横着な女のことを考える必要があるのか」という声も上がったといいます。このひとことに、時代性がよく表れていますね。
ところが反響は大きく、翌年は月産10万台に達します。オリンピックが開催された昭和39(1964)年には、全家庭の半分にまで普及しました。
同時にガス炊飯器も発売され、一時期には電気炊飯器を上まわるほどの販売数を誇ったといいます。この頃すでに自動保温できるもの、電子ジャー炊飯器なども発売されていました。
そして、昭和46(1971)年の電子ジャータイプは4000円ほどでしたが、その後は進化が著しく、マイコン制御で火加減を調節したり、さまざまな工夫が凝らされるようになりました。ちなみに、現在大人気を博している「かまど炊き」の初期バージョンともいえる「かまど炊き風」の保温釜を使った炊飯器は昭和53(1978)年当時に登場していますが、当時のお値段は1万9800円でした。
現在の炊飯器の進化は目をみはるものがあり、メーカー間で熾烈な開発競争が繰り広げられています。
目的別に炊き分ける機能、圧力IH、アルミ合金製の内釜に鉄を打ち込んだ打込鉄釜、遠赤外線仕様、高火力で炊き上げる炭釜、炊いたご飯が硬くならないスチーム保温機能……など、メーカーごとの“こだわり”が量販店にラインナップされ、選ぶ側の消費者はどれを選択すればよいか、悩んでしまうほどの充実ぶりです。
当然ながら、10万円以上する高級品も珍しくなく、“極め”と名がついた14万円(オープンプライス)の炊飯器も昨今登場していますが、こちらも高級品にもかかわらず、販売は好調の様子。
特に最近の傾向として、日本の炊飯器は国外からの観光客に高い人気があり、5つ6つと本国への持ち帰り用にまとめ買いするケースも珍しくないそうです。
── 家電の値段の変遷は食生活の変化ばかりでなく、女性の社会進出といった社会的へ変化もその背景にあることは間違いないでしょう。
その一方で、日本のメーカーが得意としてきた「白物家電」が苦戦しているようです。「白物」の冷蔵庫、炊飯器、洗濯機は、もはや古い時代の象徴なのかもしれません。
その証に、家電量販店に行くと少し前まで「ホワイト」が最も多かった家電コーナーが、いまでは「ブラック」「レッド」「ブラウン」と色とりどりかつ、よりどりみどり……。時代は「白物家電」から「色物家電」に確実に変化しているようです。
≪記事作成ライター:帰路游可比古[きろ・ゆかひこ]≫
福岡県生まれ。フリーランス編集者・ライター。専門は文字文化だが、現代美術や音楽にも関心が強い。30年ぶりにピアノの稽古を始めた。生きているうちにバッハの「シンフォニア」を弾けるようになりたい。