『フロム・エー』→『東京ウォーカー』→新潟へ移住。“売れっ子編集者”の収入と生き方はどう変わった?
雑誌の編集長でありながら、本格的にお米作りをしたり、古民家を改装した宿を経営したりと、数々のトレンドを生み出してきたクリエイティブ・ディレクターの岩佐十良(いわさ・とおる)さんがデザインする豊かな暮らしとは?
アルバイト求人情報誌『フロム・エー』や『東京ウォーカー』『じゃらん』などを手がけ、雑誌『自遊人』を創刊した、株式会社自遊人の代表取締役・岩佐さん。
武蔵野美術大学でデザインを学んでいた岩佐さんが、大学を中退してまで飛び込んだ雑誌編集の世界とは?なぜ米作りをするために新潟県に移住してしまったのか?そして宿泊施設を運営するに至ったのか?
さまざまな顔を持ちながら、「豊かさとは何か」というぶれないコンセプトを持つ岩佐さんに、The News Masters TOKYOのパーソナリティ・タケ小山が迫る。
インタビューでは終始穏やかな口調の岩佐さんですが、やってきていることはかなり破天荒。
細部に渡って考え抜くからこそ売れるのです
「大学生の時に会社を立ち上げた?」
武蔵野美術大学在学中にデザイン会社をつくり空間デザインやグラフィックなどの仕事を請け負っていたという岩佐さん。ある時リクルートの方から、丸ごと一冊の雑誌を任せるからやってみないかと誘われました。
「その人が、『君はデザイナーより、編集者のほうが向いていると思うから、デザインの仕事を一切やめたら、この仕事を任せるよ』と言うんですよ」
美大生にとっては悩ましい選択肢を投げられましたが、岩佐さんは編集者になると決断し、あとは卒業制作だけというのに中退してしまいました。
「父親にぶんなぐられましたねー。いい加減にしろ!誰が学費払ってんだ!って(笑)」
編集プロダクション「クリエイティブカラット」を創業した岩佐さんは、アルバイト求人情報誌『フロム・エー』や旅行専門誌『じゃらん』などリクルート系の雑誌を担当して高い評価を得ました。
のちに現・KADOKAWAの都市情報誌『東京ウォーカー』なども手がけるなど編集者としての才能を存分に発揮していました。
「売れるコツというのは?」
似たような雑誌が乱立する中、なにが違うから売れるのかという疑問に「同じように見えるけれど、僕らからすると、写真の撮り方が微妙に違うし、文章の書き方、キャプションの考え方、見出しのつけ方、紙面構成も微妙に違う。東京ウォーカーはそこにすべて計算があったんです。人間の目線がどうやって誌面を追いかけるかまで考えました」と話した。
微妙な違いを丁寧に積み重ねていくことで魅力的な雑誌に仕上がっていたのです。
「他の雑誌はそこまで考えていない。だから売れた!単純にそこなんです」
“豊かさ”は時代とともに変化する
編集プロダクションを創業して10年、今度は自らメディアとなって2000年に雑誌『自遊人』を創刊しました。
「消費するモノに対しての情報をずっと出し続けてきたのですが、果たしてそれが正解なのかなと感じ始めたんです」
それはまだ東京ウォーカーが絶好調だった頃のこと。「部数は伸び続けているのに1996年頃を境にして、紹介した店の行列が短くなってきたんです」と、消費者の心境の変化を肌で感じていた岩佐さんは、"情報を浪費"することに果たしてメリットがあるのかと考えるようになった。
「『東京ウォーカー』が売れる前に一時代を築いた『ぴあ』は "情報を網羅する"ことで豊かさを提案しました。『東京ウォーカー』はその大海から情報を選択して豊かさを提案した雑誌。そして、創刊当初の『自遊人』は、さらに本質・上質なモノやコトにテーマを絞ってブレイクした。時代の流れの中で豊かさも変化しているんです」
雑誌『自遊人』が創刊されて20年近く経った。
メディアは上質な情報を発信するべきである、とのコンセプトのもとにテーマや読者層を絞り込んだ雑誌づくりをした。
「振り返ると、まだ物質的な面が残っていましたね。今は精神的な豊かさを追求しています」
現在の『自遊人』のコンセプトは、"本当の豊さとはなにか?人間らしい豊かさとはなにか?"で、物質的から精神的な豊かさを求めている現代人の変化に合わせた雑誌づくりをしている。
お米ひと粒がメディア
「東京から新潟へ移住、会社も移転。きっかけはなんだったんですか?」
岩佐さんの会社は2002年からお米の販売を始めました。
「雑誌でこのお米が美味しい、この味噌は凄いと言っても伝わらない。食べてもらったほうが早い。雑誌の誌面よりも米ひと粒が持っている力のほうが強いんです。お米を販売することがメディアだと考えていました」
出す情報には責任を持たなければいけないという岩佐さんの信念は、意外にもお米作りに向けられた。
日本一のブランド米の産地である新潟・南魚沼に移住したのは2004年のこと。本格的なお米作りをはじめたことで生活が激変したと岩佐さんはいう。
「収入面は?」と、気になるところをズバリ伺うと、3分の1にまで減ってしまったとのこと。
「新潟に居て、広告の営業ができなくなったのが大きな原因で、雑誌の発行部数が減ったわけではないんです。でもおもしろいことに可処分所得は増えたんです」
新潟での暮らしは、手取り収入と自分の時間が増えたことが新鮮な発見でもありました。
「東京に居ると、明け方頃まで仕事をして倒れ込むように仮眠をとったら、また仕事という日課で、そんなに時間が無いのに農業など出来るわけないと思われていたんですが、新潟に移住したら時間ができちゃったんですね」
タレントさんのキャラバン、カメラマンさん、ライターさんの売り込み、新商品の売り込み等、打ち合わせ時間がなくなった途端に「なんだよ、時間あるじゃん」と。そして住宅費は東京と比べて5分の1以下に。交遊費や食費もほとんどかからなくなった上に、食生活も豊かになったという。
「リラックスしたければすぐそこに温泉もある。ハイビジョンよりも美しい景色の移り変わりが目の前に365日ひろがっているんです」と、新潟への移住で豊かさの考え方が変わったようだ。
フェース to フェースのコミュニケーション
「こんな美味しいお米は食べたことがないとお便りを頂くのですが、その人達がいったいどんな顔をして食べていたのかわからないですし、本当はこちらの水で炊けばもっと美味しくなるということも知って欲しかった」
"美味しいお米を作って届けるその先に、食べている人の顔がみたい"という思いに駆られた岩佐さんは、2014年新潟県南魚沼市に『里山十帖』という宿泊施設を開業しました。
「今まで宿泊施設というのは泊まることがメインでした。ウチはメディアとしての宿なので、体感、体験してもらうことがコンセプトなんです」
そして昨年の8月「箱根本箱」をオープン。
「昔は駅前の本屋というのはとても重要な役割を担っていたと思うんです。待ち合わせや空き時間にふらっと入って立ち読みをする。そこで本との新しい出会いがあったりするんです。その新しい知識との出会いをホテルに来てもらって体験するというのが"箱根本箱"のコンセプトなんです」
さらに今年、長野県松本市に『松本屋』という『箱根本箱』を進化させた形態のホテルをオープンさせる予定。
「松本の本屋で松本屋。松本市は"楽都""学都""岳都"の3ガク都と呼ばれている街です。今回の"松本屋"に関しては本と教育をテーマにしています」
すべてメディアとして発信
お米作りやホテルの運営など、すべてがメディアであると言う岩佐さんが新しくはじめたのが、東京の大手企業の社員食堂に季節を届けるという『こよみDON』。
「新潟の食材で作った料理を提供しているんですけど、これもメディアなんです。僕らは食堂事業をしているのではなく、新潟ってこういう野菜が育って、こういう食文化で、今はこういう暦なので、こういうものが出来ますよ。それが『こよみDON』なんです」
新潟の旬を丼にして日替わりで提供している。今、新潟はこんな暦なんですよというのが食を通じてわかるというメディアだという。
最後に「これからの豊かさとは?」について伺いました。
「人間らしさってことに向かっていると思っていまして、人間らしい暮らしってなんなの?これが全てのテーマだと思います」
AI(人工知能)など機械で代用できないもの。人間らしい発想を持つことがこれからの豊かさには必要だと。
AI、IoT、5G、昭和からしてみればSFの世界の扉が開いている現代。今の我々にとって本当に必要な豊かさってなんだろう?と立ち止まって考えたくなるインタビューだった。
The News Masters TOKYO Podcast 文化放送「The News Masters TOKYO」
http://www.joqr.co.jp/nmt/ (月~金 AM7:00~9:00生放送)
こちらから聴けます!→http://radiko.jp/#QRR
パーソナリティ:タケ小山 アシスタント:西川文野(文化放送アナウンサー)
「マスターズインタビュー」コーナー(月~金 8:40頃~)