V字回復させたのは左遷でやってきた支店長。キリン高知支店の営業スタイル
文化放送「The News Masters TOKYO」マスターズインタビュー。
今回のお相手は、キリンビール株式会社・元副社長の田村潤さん。
田村さんは、1950年、東京生まれ。キリンビール入社後、岡山工場労務課に配属。その後、本社人事、労務部門を経て、営業部門に転出する。
1995年に東京本社で部長代理だった田村さんは、値引きをしてでも商談を成立させたい上司と意見が対立した結果、全国有数の苦戦地域のひとつの高知支店に支店長として異動になった。
その後、高知支店の業績は反転し、田村さんやその部下の奮闘もあり、県内トップシェアをアサヒビールから奪回した。
その悪戦苦闘の一部始終をThe News Masters TOKYO・パーソナリティで、プロゴルファーのタケ小山が迫った。
左遷人事で高知支店長に
東京本社時代、「売り上げが思わしくないので、商品の値下げをする」という上司と「ブランドの価値を上げていくのがメーカーの使命。一旦安くすると、そういった価値だと思われてしまう。それはお客さんのためにならない」と主張していた田村さん。
本社内で対立が勃発していた。
社内は次第に"田村がいるからキリンの売り上げが悪い"という雰囲気にシフトしていった。
その結果、全国有数の苦戦地域・高知県の支店長に。左遷人事だった。社内からは「田村、終わりだ」とささやく声も。
タケ:
モチベーションは下がりませんでしたか?
田村:
下がりませんでした。若い時に人事の経験がありまして、会社の人事というのは、理不尽なものだと分かっていましたので。
自分の持っている能力以上の人のことは理解できないし、人事担当者には好き嫌いもある上にタイミングもある。
むしろ、理不尽や不本意な結果になりやすいのが人事であり、それで腐るのがいかにバカバカしいかを分かっていた。
これを踏まえてタケにこう切り返した。
田村:
人事で腐るのは一番損です!
左遷人事で高知支店の支店長に就任した田村さん。
腐ることもなく、最初に手を付けたのは組織で一番大切な力、「一度やると決めたことは、徹底してやりきる力」への着手だった。
当時の高知支店はやることが多く、すべて中途半端。どれにも手を出すが、一つのことをやりきる文化がなかった。
だから営業力も売る力もなくなった。そこで、やることを絞った。
例えば、「よく得意先を回る!」など何をやるかをセールスの方から自分で行ってもらった。(ひと月に200件、飲食店を回る等)
これまで、高知支店では飲食店を回る営業はあまりやっていなかった。
基本的に、メーカー→問屋→酒店→飲食店に売るという順番で、飲食店はいわば末端。
それに、数も多いし、ひとつひとつの飲食店にたくさん売上があるわけではないため、それは今までほとんどやっていないかった営業のスタイルであった。
高知支店の勝機はどこにあったのか?
そんな状況の中で、着任早々から田村さんは、ひたすら宴会をまわって、お客さんの声に耳を傾けた。
高知県と言えば皿鉢料理が名物なように、毎日どこかで宴会が開催されている土地でもあったのだ。
あらゆる宴会に出ては、「キリンはどうしたらいいですか?」「どういった理由でアサヒビールに変わったのですか?」と聞き続けた田村さん。
1日に20人、年間5000人、さらに高知支店は従業員が10人いるため年間5万人の話を聞いたことになる。
タケ:
何かわかりましたか?
田村:
ビールは人気! "人気"があるのが売れるんです!
その"人気"というのはどこでキャッチするかと言うと、大部分は口コミ。
さらに、飲食店にキリンがたくさん並んでいる地域は、一般の家庭でもキリンが強いということ。加えて「舌に味が慣れる」=「一般の家庭にもキリンが売れるようになる」ということも分かった。
人気の判断材料は他にもあった。そのカギは、小売店。
「スーパーマーケットや、酒屋さんの店頭にたくさん商品が並んでいると、たくさん売れます」と語る田村さん。
これも"人気"と判断される材料。
もちろん、ただキリンビールのお願いをするだけではなく、相手の立場に立って、魅力的な売り場にするにはどうしたらいいかを一緒に考え、お店全体の売り上げも上がるように協力した。
これを1年続けた結果、これまでとは違う手ごたえを感じ始めた。