ホーム > 経営者インタビュー > リーダーズオンライン倶楽部第8回イベント「店舗ビジネスで生き残る術」

リーダーズオンライン倶楽部第8回イベント「店舗ビジネスで生き残る術」

ラーメンチェーンで日本最大、540以上もの店舗を展開する幸楽苑。今や日本のラーメン業界を代表する幸楽苑にも、様々な苦難の道のりがあった。
幸楽苑はどのように試練を乗り越え、成長してきたのだろうか。

リーダーズオンライン倶楽部第8回イベントのテーマは「店舗ビジネスで生き残る術」。全国で540以上の店舗を展開するラーメンチェーン最大手、株式会社幸楽苑ホールディングス代表取締役副社長 新井田 昇氏をゲストに迎え、パネルディスカッションを行なった。1954年福島県会津若松市で創業した1軒の食堂は、いかにして国内最大手のラーメンチェーン店へと成長してきたのか。幸楽苑が乗り越えてきた様々な苦難と、店舗ビジネスで生き残るノウハウを語っていただいた。


(コーディネーター・早川周作・SHGホールディングス株式会社 代表取締役、南青山リーダーズ株式会社 取締役
コーディネーター・仙石実・南青山税理士法人/南青山FAS株式会社 代表、公認会計士・税理士、公認内部監査人/AIPE認定知的財産アナリスト)

"直営店を増やす"、強い想いが成長の原動力

(仙石)いま新井田様は、副社長として幸楽苑をリードしておられます。しかし、大学卒業後、直ちに幸楽苑に入社されたわけではないとも伺っています。最初に新井田副社長のこれまでのご経歴について教えてください。

新井田 私は大学卒業後、三菱商事株式会社に入社しました。当時は家業を継ぐよりも、会社員となり海外で活躍したかったからです。結果的には三菱商事で5年勤めた後、幸楽苑へ入社しますが、その理由は2つありました。1つは幸楽苑が東証二部へ上場し、急成長する時期であったこと。もう1つは、幸楽苑の社長、つまり私の父が、経営戦略について熱く語るテレビ番組を見て、経営者という生き方を強く意識するようになったためです。
とはいえ幸楽苑に入社して7年後に楽天株式会社に出向しています。これには3つの理由があります。1つは、元々楽天の三木谷会長とご縁があったこと。2つめは、楽天が行っていた医薬品の通信販売存続を求める署名活動に、幸楽苑社員全員の協力により約1万名の署名を集めた結果、三木谷会長や楽天との繋がりが深まったこと。3つめは、ちょうど楽天が海外事業に力を入れようとするタイミングと重なったからです。幸楽苑も海外での出店を考えていたので、楽天で勉強することで得られるものは大きいと考えました。

(早川)楽天への出向の際、社長であるお父様はどのような反応を示されましたか。

新井田 やはり父には反対されました。けれども、もう一度外で思う存分働きたい、勉強したいとの思いで押し切りました。

(仙石)続いて、会社についてお伺いします。国内店舗数は現在544店舗で、内16店舗はフランチャイズ契約ですね。今後は直営店よりもフランチャイズを増やしていく流れなのですか。

新井田 それは逆です。あくまでも直営店を増やすのが、我々の経営方針です。今の社長の付き合いで上場前にフランチャイズ契約を結んだオーナーとの関係は続いていますが、その後フランチャイズは増やしていません。直営店の店舗数が500店舗を超えたので、今後フランチャイズを増やすオプションは否定しませんが、これまでは直営店を増やすことだけを考えてきました。

(早川)528店舗もの直営店を経営するのは、なかなかできないことだと思います。他のフランチャイズチェーンを展開されている方は、加速度的に店舗数を増やすなら絶対フランチャイズだと仰っていました。

新井田 直営店だけを増やし続けてきたのは、社長の方針です。フランチャイズでは、人・物・お金の全てをコントロールしきれないと考えたのです。ただ、展開スピードが遅くなったのは否めませんが。


ラーメン市場の特殊性、540店以上でもシェアはわずか3%


(仙石)次は、外食産業全般についてお聞かせください。

新井田 外食産業は、非常にプレイヤーの多いマーケットです。我々のようなチェーン店だけではなく、個人経営の飲食店がとても多い。市場規模でみれば外食産業が25兆円、スーパーが13兆円、コンビニが10兆円と、外食マーケットの大きさがお分りいただけると思います。ただ個人経営店の多さが示すように、参入障壁が非常に低く、競争の激しいマーケットです。

(仙石)その競争の激しい外食産業において、幸楽苑はラーメン市場で最大の店舗数を誇っておられます。

新井田 確かに我々の店舗数は、ラーメンチェーンでは最多です。しかし昨年度末、危機感を覚える出来事がありました。都内の大学生約200人を前に講演したところ、会場内で幸楽苑を知っている方は全体の約半数、幸楽苑を利用したことのある方は全体の4分の1程度にとどまったのです。

(早川)学生街への出店が少ないのですか。

新井田 学生街か否かという分け方ではなく、我々は基本的にほとんどの店舗を郊外に展開しています。地方では状況が異なるのかもしれませんが、都内の大学生の認知度は低いようです。

(仙石)外食産業の中でもラーメン市場は非常に特殊と聞いております。

新井田 ラーメン市場においては、我々を含む売上上位8社合わせても、わずか11.6%のシェアしか持っていません。最大手の我々でも存在感は3%程度にとどまります。ラーメンはグルメ商品として認識されており、スープや麺にとことんこだわった個人店が数多くあるため、外食産業の中でも特に競争の激しい市場なのです。逆にいえば、だからこそ寡占化のチャンスがあるとも考えています。


"決して諦めない"、だから乗り越えてこれた数々の苦難

(仙石)幸楽苑は様々な苦境を乗り越えてこられました。幸楽苑が直面した苦難の歴史についてお聞かせください。

新井田 今ではラーメンチェーンを展開している幸楽苑ですが、その原点は、1954年に福島県会津若松市で私の祖父が始めた1軒の食堂です。
現・社長である私の父は大学受験に失敗し、浪人をしながらその食堂を手伝っていました。その内、当時18歳だった父は『自分が店を継いで福島県一の食堂にする、将来100店舗の展開を目指す』との目標を掲げました。そこで東京へ修行に赴いて、チェーン店理論を学び、1976年、福島県郡山に幸楽苑第1号店を出しました。けれども、お客様がまったく来てくれず苦しい思いをしたようです。このとき苦しみもがいた経験が、今のチェーン展開を行う上での大きな支えになったと聞いています。

(仙石)その後に味噌ラーメンを開発され、繁盛店になられたのですね。

新井田 そうですね。東北では昔から味噌が人気でした。また当時、別のラーメン店が味噌ラーメンで一世を風靡した時代背景もありました。その波に乗り、福島県内で順調に店舗数を増やしていけたのです。
1980年代後半に入ると、近隣の県にも出店し商圏を広げたいと考えるようになりました。そこで山形県や新潟県に出店したものの、思うように売上が伸びず苦戦しました。福島県内ではある程度『幸楽苑』の知名度が上がってきていたけれども、他県ではまだ無名だったからです。それでも諦めずに、様々な対策を講じながら地道に営業を続けた結果、今では山形・新潟は非常に利益の出る地域へと転じています。

(早川)継続の大切さがわかるエピソードです。東北で商圏を確立されて、東京へ出店されますよね。そこでもまた苦難があったとか。

新井田 社長にとっては東京への出店が夢でした。そして1988年バブルの時代に、赤坂へ出店しました。しかし、全くお客様が来なかったため、オープンからわずか8ヶ月で撤退を余儀なくされました。
それでも社長は東京出店を諦めませんでした。会社をもっと大きくしたい、もう一度東京へ出店したいとの思いを強く持ち続け、その思いが上場への原動力となったのです。
我々は1度目の東京進出から10年後にJASDAQ上場を果たし、全国的な知名度を得ました。そして2003年に再び赤坂への出店を果たしました。今では六本木・渋谷・秋葉原などの都心に多数出店し、多くのお客様にご利用いただいています。

(早川)一度撤退したにもかかわらず、14年後に雪辱を果たすのはすごい執念ですね。

新井田 諦めない姿勢の大切さを強く感じます。当時はデフレ経済だったこともありラーメン1杯290円の価格設定で展開していました(現在は1杯390円)。世間ではデフレの寵児などと言われていますが、時代に後押しされた部分もあったと思います。

(仙石)東京への出店を果たした後もさらに苦難は続いたと伺いました。

新井田 幸楽苑の出身は東北です。多くの苦難を乗り越え、東北に加えて関東での業績も順調に伸ばしてきました。ところが、なぜか西日本では業績が上がらなかったのです。そのまま西日本での営業を続けると、東北・関東で得た利益を食いつぶしてしまうと判断し、昨年西日本の52店舗の閉鎖を決定しました。加えて、将来関西方面の拠点にと整備した京都工場も売却しました。


チャレンジ精神を抱いて、常に前を向いて進む


(仙石)幸楽苑は今後、西日本や北海道への再出店を計画し、全国1,000店舗体制の実現を目指しています。いつ頃をめどにされているのでしょうか。

新井田 ちょうど今、社内で中期経営計画を練っている最中です。創業者の夢『全国1,000店舗体制』をいつまでに実現するのか。それにはラーメン以外の業態も含めるのかと社内で議論を重ねています。
昨年までは、ヒト・モノ・カネの経営資源を全国各地に分散させていました。それらを一度、幸楽苑が得意とする東北と関東に集中させて、まず足元固めに取り組んでいます。その後、西日本で新たな業態にチャレンジするために経営資源の投入を考えています。

(仙石)新しい業態へのチャレンジということで、昨年発表された『いきなりステーキ』とのフランチャイズ契約はメディアでも話題になりました。今後はある程度フランチャイズでの出店攻勢をかけていかれるのでしょうか。

新井田 『いきなりステーキ』の売り上げは非常に好調です。新店をオープンすると長蛇の列ができ、メディアでも話題となっています。しかし一昔前に我々は、"幸楽苑渋滞"と呼ばれる現象を引き起こしていました。それこそ従業員がトイレにも行けないほど、まさに24時間一日中、店がお客様で埋まっている時代もあったのです。
『いきなりステーキ』は今後も続々とオープンさせる予定ですが、我々の主力はあくまでラーメンです。ラーメンを再度ブラッシュアップし、再び渋滞を起こせるような強い業態力の開発が必要です。

(仙石)"幸楽苑渋滞"を起こしていた頃は、今より100円低いラーメン1杯290円の価格設定でしたよね。平均と比べてはるかに低い価格設定だと思いますが……。

新井田 幸楽苑では、業界価格の3分の1から2分の1ぐらいのプライジングを目標としています。しかし、低価格イコール美味しくないとの誤解も招きがちです。実際には幸楽苑が使っている材料は非常に良質です。この質の高さを強くPRするのが今後の課題です。

(早川)他の外食チェーンでは、店に生産者や原料の産地を明記したり、商品が作られるまでのストーリーを示しているところがあります。そのようなストーリーが表示されていると、より安心安全かつ高品質であることが伝わりますね。

新井田 そうしたアピールに、我々は今まで取り組めていませんでした。今後は味に関してはもちろん、安心安全に関しても、強くPRしていきます。

(仙石)最後に「店舗ビジネスで生き残る術」についてお聞かせください。

新井田 私たちは現在、"幸楽苑ブランド"をしっかりと確立できています。しかし、それは一朝一夕で築いたものではなく、様々な試行錯誤を繰り返した中で勝ち得たものです。今後もチャレンジ精神を失わず、失敗から学び、失敗をどのように改善するかが非常に重要と認識しています。

(早川)大企業になればなるほど、PDCAの中でPlan-Doを優先しがちです。そんな中でCheck-Actionの大切さを社内で徹底されているのは、当たり前のようでいてなかなかできないこと。それが「生き残る術」だと感じ入りました。

新井田 CAの大切さは、三菱商事での勤務や楽天への出向中に感じたことです。我々もCAがまだまだ弱いと感じているので、改善していく覚悟です。

(仙石)最後に、時期社長候補として、新たなチャレンジをテーマはありますか。

新井田 これまでは現社長の思い一筋に、ラーメンを主軸とした事業展開を行ってきました。今後はリスク分散を考えながら、様々な業態を扱う総合的な外食企業になりたいと思っています。


リーダーズオンライン倶楽部

経営者の皆様が日頃悩まれている、事業承継、M&A支援、資金調達、営業支援、IPO支援など企業の成長に必要な多方面からのサポートの実施しています。 さらには、老舗企業から経営のノウハウを学び、100年先も続く企業となるための基盤づくりを支援しています。 また、経済界のみならず、日本の文化伝統、スポーツ界など様々な業界との交流を通じ、経営者の皆様の視野を広げられる場としても好評いただいています。