第25回 次世代への継承のために、やるべきこと。 はなぜん株式会社 山室稔社長
筆者はここ数回、比較的若手の、これから店舗を広げていこうという経営者を対象にお話しをうかがってきた。いっぽう今回は、飲食業界に40年、そして20年以上都内各地で居酒屋を運営してきたベテラン社長に会い、自分の店や仕事をどのように継承するか、そして自分自身のこれからの筋道をどう作るかなどについて伺うことができた。
本格九州料理店「花善」のできるまで
五反田に「花善」という九州料理店を知ったのは、もう10年以上も前のことだ。令和の五反田は、イキオイのある飲食店がどんどん進出する新たなグルメエリアへと成長を続ける注目の町。だが当時はまだまだ歓楽街的な要素が色濃く、「花善」もまた、そのど真ん中に店を構えていた。はなぜん株式会社社長、山室稔(やまむろ みのる)氏に、生い立ちから「花善」オーブンまでを訊いた。
「18歳まで、九州の大分にいました。実家は農家です。高校生の時、地元の農家の仲間でスイカを売ったことがありまして、大きなトラックでサイズの違う品物を大量に仕入れて売りさばき、ひと夏で手元に40万残りました。当時高卒の初任給が6万程度。勤め人より商売人の方が手っ取り早いと思い上京。飲食店で働き始めました。料理ひとつとっても、簡単に覚えられるだろうと思っていたのですが、そんなに甘いものではなかった。ただ、経営者になるには、いわゆる「胴元」が分からないと難しいことを認識できたのは収穫でした。
その当時、いわゆるバブルが始まったころなので、居酒屋はものすごく繁盛していました。しかも深夜帯でやっている飲食店は少なくて、ぼくのいた店も朝の5時まで満席でした。
がむしゃらに働いたけど、結婚したこともあり独立するお金はなかったものの、ようやく商売が分かり始めた30代半ばころ、実は肉屋の外食部門を任されたんです。
スタート時は快調でしたが、BSEのおかげで肉は不安定だと感じ、ようやく独立を決心。41歳になって初めて五反田に開業しました。九州出身なので、焼酎を飲ませる店をやる。つまみは軽いものでも十分のはず。飲食業界で苦労をしてきた割には、安易なオープンでした。『花善』とは、あうんの呼吸で、
”あ”で口があいて、最後に”ん”で閉まると覚えやすいのですよ」
自分を変えた母のひとこと
筆者にとってはサカナのイメージしかない山室社長が、昔は肉の店で働いていたことも驚きなら、BSEをきっかけにサカナにシフトされた点は先見の明であろうか。
「知り合いにマグロ専門の卸しがいて、マグロをつまみ焼酎を飲む店を考えました。その時はまだ、焼酎ブームになっておらず、特に五反田辺りではまだまだでしたね。12月にオープンして3月ぐらいまでは、仕入れの支払いができないぐらいピンチでした。集金に来られる月末には、よくトイレに隠れていましたよ。
自分はずっと、駅ビルとか好立地の店で働いたので、お客様へのサービスはできても、本当の意味の料理とかおいしいものを食べさせるという概念はなかったのです。うまい焼酎があれば全てが売れると思っていて。
当時70歳ぐらいだった母から、タケノコとかぜんまい、フキなどの煮物、まさに昔ながらの田舎料理なのですが、送られてきて、そこに『お客さんには、おいしいと言ってもらえていますか』との手紙が添えられていました。さらに『これをつきだしでも使ってください』と続きます。
目が覚めました。九州をメインにしようと考えていたけど、食材まで気が回っていなかったのです。立派な焼酎さえ置いてあればいいと勘違いしていました。
あ、これだ。九州出身なのになぜマグロなのと、けっこう聞かれていたのに、その矛盾に気づかなかったのですね。
オープン5か月後の4月にようやく損益分岐点をクリアでき、来店した九州出身者を通じて、五反田品川一円の会社からお客様が集まり始めました。その時はすでに、大分の関サバ、鳥刺し・馬刺しなど、九州料理のオンパレードです。
鹿児島出身のオペラ歌手、残念ながら2014年にお亡くなりになった中島啓江さんから、テレビ番組の『私の三ツ星レストラン』というコーナーで紹介していただき、それ以降はもうずっと忙しくて。やはり当時のテレビの力は大きかったです」
節税とスタッフのために、二軒目・三軒目へ
筆者もよく存じ上げているが、そこから先「はなぜんグループ」」の躍進は華々しかった。
「売上があがるにつれてスタッフが育ってきたので、同じ五反田に「げってん」を出店しました。看板・提灯のないマンションの2階。インターホンで到着を告げるタイプの走りの店ですね。
自分しかできないこの商売を、若い子たちにやらせるには、九州を味わってもらうにはどうしたらいいか、日々悩みながら、次いで品川に『九州酒場』を出店しました。品川は最初売上が伸びず厳しかったですが、品川駅周辺が開発され、駅周辺に大規模なビルが建ち始めてから流れが変わりました。一時は、上野にある有名な居酒屋「大統領」の次に、坪単価の高い売り上げを記録し、テナントビルから表彰されたこともありました。続いて、田町、浜松町と『九州酒場』を出店しました。田町の同じ地下街に2店舗出したので、一つは「萬壽丸(まんじゅまる)」という日本酒の店にしたのです。
品川も田町も浜松町も、全て駅前のビルの地下です。実はそこに秘訣があって、1階のテナントに比べ安いし意外と空くんですよ。特に駅周辺は古くからある店が多く、現代の波についていけず、もしくは後継者がいなくて辞めていく。皆さん、いい場所を求めすぎです。地下ですが、雨が降れば勝った、という感じ。そして、晴れているときにもまた来てもらえるようにもっていけばいいのです」
山室流の指導方法
筆者の知る山室社長は、温和でやさしい方だが、やはりスタッフには相当きびしかったという。九州料理、その世界観はやはり九州男児に端を発するのだろう。
「これからの飲食は、お客に対する情熱がますます必要です。特に、若い世代。今の30代にそんな人材がほしいですがなかなかいないですね。何とかしてこれを食べてもらいたい、みたいな熱い気持ちをお客に伝えられないのです。そんなプラスアルファがぼくの心情なのですが、普通に経営を勉強して、飲食店に漠然といても成長しないし他に勝てないですよ。自らの情熱でいい店を作りたい、海外にも進出したい、といった感じ。
頑張ること一つにしても、何かほしい物があるからとか、夢に向かってとか。お客さんの喜ぶ顔が見られる、だけでもいいのですよ。そういう話をずいぶん聞いていないです。働き方改革の影響で残業が減って休みが多い、日本には貧困の差がはっきりとできて、それがあきらめの原因になっている。10連休なんて、本当に不要だと思いますよ。
例えば、彼女のために150万円の結婚指輪を買いたくて、100万は貯めたけど、まだ50万足りないので、社長、貸していただけませんか。みたいなことを言う若者がいたら、ぼくは抱きしめてやりたい。それが情熱というものです」
はなぜんグループ、そして山室社長の今後は
お話をうかがっていると、さすが九州の男という情熱とホスピタリティに満ち溢れる山室社長。ただ、さすがに時代とのギャップや、愛し育ててもらった魚介類への憂慮など、ベテラン経営者を悩ませる問題も山積みだ。そんな困難にこれからどのように立ち向かっていくのか。
「地元の漁港に行ってみると、漁師はもう、ほとんど仕事がないのです。日本人は以前に比べて魚を食べなくなってしまいました。肉が1キロ1万円でも買う奥様はいるけど、魚が1キロ1万円なら普通の家庭の主婦は誰も買わない。地方の漁港には、動かさない船がいっぱい停泊しています。ぼくは釣りが趣味で、船舶の免許も持っているというと、あの船あげるから持って行ってくれと言われます。解体処分する費用をかけるなら人に譲渡した方がいいのです。沖に行けば、魚はいっぱいいるのに。
このような状況が続くなら、魚の市場を海外にも求めたいですね。日本では、魚が売れない以上に魚をものすごく美しい状態に保って移送・販売しないと、さらに商品価値まで下がってしまいます。その点海外は気が楽。高級魚でもビニール袋に入れて売買できます。キンメダイなんか、中国の高級スーパーでは大変好まれるのですよ。
さらに練り物なら、健康食品としても売りやすいですよね。日本には伝統や技術もたくさんある。さらに海藻を多品種扱う国でもあるので、その加工品、例えばパスタにするとか。そんな視点で魚介の行き先を考えたいです。
五反田の『花善』、いわゆる創業店は、もう自分の持ち物ではありません。大切な思い出がつまった一号店を、一番信用できる創業時からいる女性に譲りました。なぜなら、そうすることで『花善』は死なないから。自分の家族がやれるならよかったけど、できないと判断しました。
会社は人が作るもの。人のおかげでできています。自分はその代表。創業者としての実績ではなく、山室という人がこんな店をやっていたよと、人に記憶が残ればいいのです。
はなぜん株式会社で自分のやることは、すでに少なくなっています。でも、確実に次の世代のみんなが盛り上げてくれる姿が見えるのです。
最後に自分一人が残り、そして自分一人の店をやりたいかな。週4日だけ営業し、自分で釣ってきた魚を提供しつつ、酒も自分の好きなものだけ置いて。
自分一人でできる精一杯のことをやって、今まで通ってくださったお客様に恩返しをしたい。そこは、自分の中での決め事。きっちりしていかないと」
飲食業界をひたすら駆け上ってきた山室社長には、次の世代の憂いも不安も十分に理解しつつ、大きな期待を持って楽しみにされているのだろう。筆者は、山室社長が一人で切り盛りする店の開店が楽しみだ。
はなぜん株式会社
【URL】https://hana-zen.co.jp/
【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。