第22回 「自分が行きたい店を作る」、社長の意に応えるスタッフとの共同作業。株式会社遠藤利三郎商店
スカイツリーのお膝元、押上発祥の物語
東京都墨田区 押上ほど、昨今の東京で目まぐるしく変貌を遂げた街はないだろう。チューハイが誕生した酒場があるような「ザ・下町」だった粋な場所に、たくさんの駅ができスカイツリーが建った。
押上に生まれ育ち下町ならではの家業を継ぎながらも、その地にワインバー「遠藤利三郎商店」をオープン。多くの観光客に乗じるつもりは毛頭なく、地に足ついた、押上の進化に大きく貢献した人物。株式会社遠藤利三郎商店、遠藤利三郎氏である。
「うちはもともと味噌問屋でした。私は三代目として家業を継ぐべく、大学を卒業して大手調味料メーカーにいったん就職。ところが、そのメーカーが扱っている酒類の販売を担当することになったんです。元々そんな運命なのかもしれません。
私のワインとの出会い、いやフランスとの出会いは中学校の時。一年生の担任がフランスのアルザス出身でした。そこでフランスの文化に対し親しみを覚え、高校生になるとフランス人の先生にフランス語を習ったりしました。フランスでは子供の頃からワインを飲むとか、そんな話を聞かされたのがワインに興味を持つきっかけでしょうか。いつかはフランスを回っていろいろなワインを飲みたいと考えていました。
大学に入り20歳になるころを待って、当時銀座にあったソムリエスクールへと通い始めたんです。同時にヨーロッパをぶらぶらと回る中、ワインは憧れではなく身近な日常だと気づかされました。
就職した会社にて酒類販売を手がけることで、自分がたしなむだけではなく広げていく面白さも味わったんです」
ワインスクールの講師を始めた訳
遠藤社長の風貌は、飲食店経営者というより学者肌。お話も極めてうまい。さまざまな顔を持つ遠藤社長の先生としての一面に切り込んだ。
「味噌問屋を継ぐために会社を辞め、押上に戻りました。法人格になる前の、味噌問屋の看板が『遠藤利三郎商店』でした。味噌問屋として酒販免許も所有していたので、もう一度改めてワインに取り組むつもりで、スタートしたばかりのワインスクール『アカデミー・デュ・ヴァン』の講師募集に応募。そこに講師として通うことになりました。
ワインスクールの講師を長年やっているし飲食店も経営しているので、ソムリエの資格をお持でしょうと言われます。自分のスタートは酒屋だったので、ワインアドバイザーの資格は取ってますが、ワインをサービスするソムリエではありません。ワインバーを持っているので取ろうと思えば可能でしょうけど、あくまで楽しむ側・教える側の立場を貫いて、ワインアドバイザーとしての資格に誇りを持っています(現在ワインアドバイザーは、ソムリエという名称に統合)」
押上で開くワインバーへの挑戦
「遠藤利三郎商店」は今やすっかり押上の顔となったが、下町でのワインの店は相当な勇気と決断が必要だったのは想像に難くない。そこにも遠藤社長らしいエピソードがあった。
「味噌は祖父の時代は作っていたんですが、父の代から完全な問屋となりました。売り上げは増えても利益が上がらず、スーパーとかの商品にも押される。卸業というのは三日月湖のように淀んでしまうんです。そこで11年前に味噌問屋の廃業を決めました。
すると、押上にあった味噌の倉庫が空いてしまって・・・。貸そうかどうか迷ったものの、昔からワインバーを開きたいと物件も探していたので、ここでやろうと決めました。
押上でワインバー。かなり反対もされましたが、押上でもできると確信したのは、まだ都営浅草線の駅しかなかったころ、有名ワインショップの紙袋を持った女性が押上駅で降りたんです。驚いて、勇気を出してその女性に話を聞いてみました。すると、押上に住んでいてワインが大好きとの答え。
押上って、チューハイやハイボールの聖地だとしても、同じお酒であるワインが好きな人もたくさん住んでいる。でも押上に飲むところがないから流行らないと考えてしまうだけなんじゃいかと気づいたんです。スカイツリーも、計画はありましたがまだまだ印象の薄い段階でした。
一番の思いは、自分が飲める、飲みたい店が欲しい。毎日通っても飽きないような。でも、住んでる押上には存在しないし、作るしかない。
何軒か先駆的なワインバーを覗きに行きました。みんなとてもいいんだけど、料理がオツマミの域なんです。そこで料理をきちんと出して、しかもできるだけリーズナブルに。最初に立てたコンセプトでした。そして、まず探したのは優れたシェフでした」
客のプロではあるが飲食店運営は素人の立場で
こうしてスタートした押上のワインバー「遠藤利三郎商店」は、遠藤社長の目論見に反し、立地の面白さやレストランとしてのすばらしさから、首都圏全域から客が集まるようになった。そしてその手腕を聞きつけた人たちのご縁で、新たなワインバーが増えていった。
「私はお酒の販売はやってきましたが飲食店の運営は素人なので、店のスタッフに下手に口出ししない方がいいと思っています。でも、客の立場では言いたいことを言います。これ高いんじゃないとか、このワインイマイチとか、品揃えをもう少し工夫してとか。シェフにも店長にも一番にお願いするのは、ぼくを楽しませてください、ぼくが喜ぶ店を作ってと。それを目的にすると、対象となるお客様もはっきりしてきますよね。
ワインリストも実は店長に任せています。というのも、自分が選ぶと知ってるワインばかりになって、決局つまらないし発見もないからです。
私はワインの物販もやっていますが、自ら輸入はしていません。輸入するとそのワインしか飲めなくなりますし(笑)
押上以外の展開は、それぞれきっかけが違っていて、ワインスクールの生徒さんを連れて行けるなあとか、元々の持ち主が隠居したいから後を引き継いでくれないかとか、押上の店がおかげさまで席が埋まるようになって自分がふらっと行っても入れないので、近くに予約をとらない立ち飲みを作ろうとか。
積極的にあちこち展開するというより、そういったご縁で少しずつ広げています」
押上の発展とともに見据える未来
「遠藤利三郎商店」がオープンした当時、押上には大衆酒場しかなかったが、今や、焼鳥の名店やビストロなど、様々な飲食店が出来始め、スカイツリーの喧騒とは別に、落ち着いた下町らしい大人のエリアとして、飲食店群が形成されつつある。まさに、遠藤社長の英断が実を結んだ証左だ。
「商いをやってた実家なので、家の中にいろいろな仕事があるのか普通の感覚なんです。飲食店、物販、講師と、いろいろと手掛けても、講師以外は信頼できるスタッフに任せているパターンですので、その都度自分が必要とされる居場所に行く、みたいな流れでしょうか。
社長としての大きな役割は資金繰りで、私が資金を安定させるから、現場もがんばってくれよと声をかけます。私がスタッフの役に立てる仕事は、広告塔でしょうか。2018年、三代目遠藤利三郎を襲名させていただきました。講師などは遠藤誠という本名でやってたんですが、私がセミナーとかで襲名した名前が出れば、その都度お店の宣伝に直結しますでしょ。
また、遠藤利三郎商店って人の名前ゆえ、個人のイメージが強くなる。そこを少しずつ変えていきたいと考えているのは、現場のスタッフをそれぞれクローズアップするために、、スタッフ一人一人をプロのカメラマンにかっこよく撮ってもらい、それを各所で使っていこうと画策しています。今まで以上に自分が働くお店に愛着を持ってもらえればと願って。
これからますます充実しライバル店も増えていくでしょうけど、その分、訪れるお客様はもっと増えると信じています。
ワインに特化していえば、今までの日本でのワインは、お茶室でお師匠の前で飲んでいる感覚でした。ところが、お茶が茶室でいただくものではなく、ペットボトルのお茶に変わっていったように、ワインも身近で日常化しているのが今の姿。うちのようなワインバーも、さらにカジュアルにしたいですね。もっとカジュアルにするにはどうすべきなのか、日々考えています。
加えて、押上でワインを造ってみたいです。世界のあちこちからブドウジュースを買ってきていろいろな酵母で。タンクさえあれば、そんなに広い場所は必要ないですよ」
遠藤社長とお話をしていると、ワインに関する知識も膨大だか、それ以上にワインへの愛情の深さを知らされる。こんな経営者が日本の、日本人のワインを支えてくださっているとするなら、筆者のような日常的ワインラバーは、永遠の愉しみと安心を得られた感覚だ。
遠藤利三郎商店
【住所】東京都墨田区押上1丁目33−3 1F
【TEL】 03-6657-2127
【URL】https://endo-risaburou.com/index2.html
【プロフィール】
伊藤章良(食随筆家)
料理やレストランに関するエッセイ・レビューを、雑誌・新聞・ウェブ等に執筆。新規店・有名シェフの店ではなく継続をテーマにした著書『東京百年レストラン』はシリーズ三冊を発刊中。2015年から一年間BSフジ「ニッポン百年食堂」で全国の百年以上続く食堂を60軒レポート。